アジアのイスラムが「偏狭」な理由

◆「旅行中はハラール食でなくていい」のだが

来日するイスラム教徒への「おもてなし」として、イスラム教の教義に従って調理された「ハラール」食を普及させる動きがある。絶海の孤島ニッポンを国際化させる動きとして歓迎するが、イスラム本来の教義では、「旅行中は禁じられた食材を口にしてもよい」(つまりハラールでなくてもよい)とされていることを、読者は知っておられるだろうか。本来のイスラムは異教徒に寛容であるだけでなく、信者にも優しい。旅先でハラール食が入手できないとき、無理して絶食する必要はない、というわけである。私が日常接する中東北アフリカ諸国からの賓客には、このように述べて、食事やレストランを選ぶ際、あまり気にしない人が多い。ところが、東南アジアのイスラム教徒は、ハラールにこだわる傾向がある。また、神社仏閣を観光する際にも、私のお客様は興味津々で鳥居をくぐり、本殿をのぞき込むが、インドネシアやマレーシアからのお客様の中には、神社の前を通っただけで強い拒否反応を示し、鳥居は絶対にくぐらない、という方がいるそうである。

◆アジア地域は異教徒との摩擦が強い

この違いは、おそらくイスラム教徒のコミュニティが、南アジア、東南アジアでは常に異教徒のコミュニティとの間の摩擦に晒されていることから生じるのだろうと思う。イスラムは、アラビア半島のメッカで興ったアラビア語による宗教で、「開祖」の預言者ムハンマドとその後継者が生きた時代(7世紀)に既に最初の領域が出来上がった。当時イスラムの旗の下に統一されたこの地域と、現代の地図でいう中東北アフリカ地域はほぼ一致する。この地域のご主人様はイスラム教徒だ。キリスト教徒やユダヤ教徒をはじめとする異教徒、異民族は存在するのだが、いずれも少数派として(語弊があるが)「肩身の狭い」思いで暮らしている。つまりこの地域の生活は「イスラムモード」であって、普段ハラールでない食事を間違って食べる、といった心配がない。他方、東南アジアをみると、人口比では中東に負けないほどイスラム教徒の割合は多いのだが、華僑やヒンズー教徒の影響力が強く、それぞれの寺院が隣り合っていたりして、間違って禁忌の食材を口にする危険性が日常的である。このことが、東南アジアのイスラム教徒の行動様式を規定しているように思う。

◆「日本人だ。撃つな」は効果ないか

このような社会では、各個人が自己のアイデンティティを常に主張・再確認する必要に迫られる。それが、パキスタンから東南アジアに至る地域のイスラムを偏狭なものにしている主な理由だと考えられる。バングラデシュのレストラン襲撃事件では、仲間(イスラム教徒)と異教徒が区別され、「処刑された」ことに衝撃が広がった。もちろん、この傾向はすべてのイスラム過激主義者に見られるのだが、東南アジアにおいては、何倍も強く、空気のように当たり前な論理(というより感情・行動様式)であることを理解した方がよいであろう。「日本人だ。撃たないでくれ」との主張は効果なし、との議論がなされたが、東南アジアでそれが正しいとしても、イラクやシリアでは別の結果をもたらす場合もあるだろう。中東において、日本人が異教徒であることに変わりはないが、同時に、異教徒であってもイスラム教徒よりイスラム的な美徳を有する国民、といった言説や、日本を東洋の長兄として尊敬する、という感情は、広く存在している。