解き放たれたイランの神権政治

◆経済制裁解除がもたらすもの

イランは、神の意志を正しく解釈できる(!)という聖職者によって統治されている珍しい国だ。バチカンというカトリック聖職者の「国」が、他国を攻撃する軍隊を持たず、その宗教的メッセージは概ね世界平和に貢献しているのに対し、イランはロウハニ大統領(聖職者)よりも高位の最高指導者ハメネイ師の裁可の下、イラク、シリア、イエメン等に戦闘員を送り込み、また、現地の武装組織を支援して戦争を指導し、地域を大いに不安定化させている。1979年にこの政権が誕生して以来、中東のアラブ諸国と欧米は「革命の輸出」を許さない、と一貫して封じ込め政策を続けてきた。しかし1月、同国は核兵器開発を当面断念することの見返りに、長年苦しんできた経済制裁から脱却した。「泣く子と地頭には勝てぬ」というが、「悪の枢軸」(イラン)は「大悪魔」(米国)を完全に押し切った感がある。

◆「地域覇権狙う」 米当局者が指摘

イラン・イラク戦争が起きたのも、スンニ派アラブ諸国の連合体たるGCC(湾岸協力会議)が創設されたのも、すべてはこの神権政治の脅威が原因であった。この37年間の歴史と、現実に今、イランがどのような行動で近隣諸国に政治的、軍事的に介入しているかを考慮すれば、制裁解除など考えられないというのが湾岸アラブ諸国の本音である。先日、モレルCIA前副長官は米議会公聴会で「地域覇権を狙うイランの野望」に注意すべきと発言したという。ならば米国もそのことを知らずにナイーブな外交をしている訳ではなかろう。「世界はより安全になる」というオバマ大統領の発言の裏に、イラク戦争に勝ちながら、イラクの権益から排除されて大損害を被った米国の政策決定者が、「借りはサウジアラビアで返そう」などとサウジの体制転覆を考えていないことを祈るほかはない。

◆シーア派過激主義にも警戒を

シーア派とスンニ派の対立が教義をめぐる宗派対立であるとの説明に間違いはないが、シーア派の興りが、誰がイスラム国の統治者となるか、との政治闘争そのものであったこと、及び、ペルシャ民族の覇権を拡大すべくサファヴィー朝の創始者イスマーイール一世(在位1501-24)がイランを意図的にシーア派化した事実を忘れてはいけない。これは宗教の問題である前に覇権争いなのだ。イランの神権政治が猛威を振るう限り、スンニ派アラブ政権下にシーア派住民が「隷属」する諸国に平和はない。そのことは、イラク政治の戦争終結後10年以上の混迷と、シリア内戦に解決策が見いだせないことだけを見ても自明である。「イスラム国(IS)」やアルカーイダというスンニ派過激主義者の問題のみに目が奪われている間に、シーア派過激主義(特に武装民兵組織たるヒズボラなど)が市民権を得るという奇妙な展開となっている。唯一楽観的過ぎる期待をするならば、「太陽と北風」の例えにある如く、世界に開かれたイランとなることで市民が目覚めることであろうか。