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人権無視の圧政vsテロリズム

◆アレッポ市民を「テロリスト」呼ばわり

写真展の無機質な白いホール。撃たれて仰向けに横たわるロシア大使の傍らで、拳銃を構えてアレッポの復讐を叫ぶ実行犯。一枚の報道写真が示すこの情景をテロと呼ばずして何と言おう。そしてその隣の記事は、「イラン大統領、シリア政府軍のアレッポの『テロリスト』に対する勝利を称賛」と伝えている。昨年末に閲覧したインターネットのアルジャジーラ・ニュースサイトの一コマである。ここで言う『テロリスト』とは、アサド政権の人権無視の圧政に対し、反乱を起こした反政府勢力のこと。その正義を信じ、イスラム教スンニ派である同胞の生存を賭けた戦いを応援している湾岸アラブ諸国は、ロシアやイランが彼らをこのように『テロリスト』と呼んでアサド専制政治の復活を目論んでいることが我慢ならない。極悪非道な、テロリストも真っ青の市民虐殺をしているのはそちらの側ではないか。それゆえにカギカッコが付くのであるが、このような立ち位置は、その『テロリスト』に武器を与えて支援してきた米国を含む西欧諸国や日本なども基本的に変わらない。

◆米欧は大使殺害犯と同じ側に

駐トルコ・ロシア大使を殺害したこの非番の警察官の背後には米CIAがいるとの噂が駆け巡った。その真偽は実はどうでもよい。米国が背後にいようがいまいが、アサド政権に虫けらのように虐殺されるアレッポ市民(=『テロリスト』)のために暗殺を決行した、というこのテロリストと米国、そして我が国を含む西欧諸国は事実上、同じ側に立っている。気が付けば、我々はテロリストの側にいて、しかもロシア、イランといった専制国家、神権政治国家に完全に打ちのめされていたのである。この事実は実に衝撃的だが、現実である。シリア北部の中心都市アレッポは、シーア派民兵やシリア政府軍により完全に制圧された。ロシアは、1年前に空軍機を撃墜する挙に出たトルコとの関係を一層修復して、シリアの新たな秩序作りに取り掛かる。この戦略的選択の前には、ひとりの大使の暗殺など、何の障害にもならなかった。直後にロシア、イラン、トルコ3国の外相は「アサド政権抜きの和平は非現実的」と合意した。カザフスタンのアスタナで開くという和平会議はここまでロシア、イランが獲得した既成事実を定着させることができるだろうか。

◆ロシア、イランの専制政治を容認できるか

 アラブの春から5年。中東ではアサド政権やエジプトのシシ政権という、強権で反対勢力を抑え込む強面の支配体制と、これを支える非民主的な大国の論理が幅を利かせている。西欧の民主国家は打つ手がなく、介入しようとすれば、イスラム過激主義者やテロリストとの共闘になる。こんな時代はかつてなかった。今後我々は、新たな価値観や政治システムを創造して行かねばならないだろう。そこに、「予測不可能」を代名詞とするトランプ政権が登場する。トランプ次期大統領はロシアと協力すると言っているので、出現しつつある「シーア派・ロシア連合」が大きな役割を任せられるのは、間違いない。しかし大量の難民発生、この戦争に敗北し経済的にも追い込まれるサウジアラビアなどの湾岸諸国、そして、数々のスンニ派の過激主義組織。これらの問題を解決していくには国際協調が必須であるが、ロシア、イランに協力して、これらの専制政治を容認するなどという度量が米国や西欧社会にあるのだろうか。

「パレスチナ化」するシリア

◆繰り返される不幸な現実

シリアをめぐる情勢は、発生から約70年を経た今も何ら解決しないパレスチナ問題に似てきた。武力で家と故郷を追われ、肉親の生命までも奪われた人々にはその権利を回復すべき「大義」があるが、圧倒的な軍事力と無慈悲な冷酷さを兼ね備えた「敵」を自らの手で倒す以外、それを実現する手段はない。国際社会はことごとく正義に鈍感なのである。ユダヤ・ロビーによって大きく歪められた米国の対中東政策がもたらしたパレスチナのこの不幸な現実が、今、隣国シリアで繰り返されるのではないか。それはロシアの不退転の決意によって庇護され、既成事実の積み上げで出現しようとしている「新シリア」(アラウィー派世俗国家)が文字通り踏み潰そうとしているスンニ派住民の姿と重なる。非人道的空爆を非難されたラブロフ・ロシア外相は問題をすり替え、「和平協議を妨害しているのはシリア反政府側の交渉団で、デミストゥラ国連特使がその言い分を聞くとは無責任」とうそぶいたが、その高飛車な姿勢は、バレスチナの権利回復につながる安保理決議案をことごとく拒否権で葬ってきた歴代米国務長官を模倣しているかのようだ。

◆腰の引けたアラブ諸国と米国

同胞パレスチナ人を支援する、と言いながらアラブ諸国はイスラエル一国の前に完全に腰が引けている。具体的には何ら行動せず、「エルサレムを首都とするパレスチナ国家の建設」といった実現不可能なお題目を唱え続けるので、さらに100年たとうが200年たとうが目標を達成することはないだろう。同じことがシリア反政府勢力を支援するサウジアラビアなどの姿勢に見られる。「アサド抜き」の政治プロセスを要求する非現実的な対応には、ラブロフ外相の指摘を待つまでもなく、「無責任さ」が感じられる。やがてシリア分割の国境線が引かれたならば、「ダマスカスを首都とするスンニ派国家」でも要求するつもりだろうか、と思えてくる。またこの諦観を一段と深めているのが、米国の「無気力相撲」だ。アサド政権側がロシア軍機に加えて、ヒズボラやイラン革命防衛隊およびシーア派民兵による前線の戦闘に対する直接支援を受けているのに対し、米側は、直接派兵はおろか、「テロリストを利する」として反政府勢力への武器供与も抑制的だ。

◆難民悲劇の固定化回避へ英知を

周辺アラブ諸国に逃れたパレスチナ人は、70年経っても難民キャンプという「仮設住宅」暮らしで、周囲を塀に囲まれてしまったガザ地区は「巨大な収容所」とも呼ばれている。幸運にも湾岸諸国や欧米に移住できた人たちは2世、3世の時代となっているが、「大義」を訴えるアイデンティティーは消滅していない。同じことが一説に国外400万人超、国内800万人と言われる膨大な数のシリア難民、避難民に起きるだろう。「平和的デモ」で始まった内戦はすでに5年を過ぎた。子供の教育、養育は待ったなしだ。避難民はテントの中で、また、運よく受け入れられた人は欧州の街角で、定着のための新たな戦いの日々を送っている。戦争で故郷をなくすという悲劇は、この地域の人々が歴史上繰り返してきたことに違いない。しかし、それが宗派主義、民族主義の色眼鏡によって語られるとき、悲劇は固定化、長期化すると見てよいだろう。第二のパレスチナを作らないよう人類の英知を結集することこそ、今何よりも求められている。