ヒズボラ(神の党)恐れる湾岸諸国

◆「暗殺」が動かす中東の歴史

暗殺(assassination)という言葉が、11世紀のペルシャで暗躍したアサシン教団に由来することが示すとおり、中東の歴史は武装宗教集団が既存の秩序を破壊し新たな時代が始まる、というサイクルを繰り返している。それは今風に言えばテロが歴史を動かしている、ということであり、現代に生きるわれわれもそのパターンから逃れることはできない。シリアとイラクを中心に猛威をふるうイスラム国とその源流であるアルカーイダ系の諸集団の活動は、中東の領域を超えて欧州やアジアにも及ぶ。そこでロシアは、停戦に応じても「対テロ」作戦は続ける必要があるとして、シリア反政府勢力への空爆を事実上継続している。この残忍な民間人殺傷がテロとみなされないのは、ロシアが正統性を有する国家権力であって、正義の戦い、国際法に基づく戦いをしているからだ、という論理に基づくが、その一方で、シリア政府軍と共闘しているヒズボラというテロ組織の非合法性は忘れ去られている。

◆イラン神権政治のロボットアーム

ヒズボラ(「神の党」の意)は、1980年代前半にイラン神権政治がレバノンのベカー高原に創設した紛れもない非合法武装集団で、米国その他の主要国がテロ組織に指定している。政情の定まらないレバノンにおいては合法政党として多数の議員を国会に送り込んでいるが、やっていることは、士気が落ちかかったシリア政府軍を見事に支えたダマスカス近郊での勇敢な戦闘、イスラエルへのロケット弾発射などであり、シリア内戦の主要なプレーヤーである。つまり、ロシアはテロ組織と共に、「もうひとつのテロ」と戦っているということになる。またヒズボラやイランは、湾岸アラブ諸国にも地下細胞としてのヒズボラ別動隊を組織し、テロ攻撃を実践してきた(96年アルコバル米軍施設爆破事件など)。要するに、ヒズボラとはイラン神権政治が「革命の輸出」を図る上での「ロボットアーム」なのだ。

◆シーア派住民の扇動警戒

イランが国際社会に市民権(制裁解除)を得て、ロシアの参戦でシリアのアサド政権とヒズボラも息を吹き返したという現状下、サウジアラビアを盟主とする湾岸諸国は「革命の輸出」(=シーア派による組織的テロ)をかつてなく恐れている。これらの政権はスンニ派、シーア派いずれのテロリズムにも反対しているが、自らに火の粉を被らないテロであればスンニ派のテロ(イスラム国、アルカーイダ)には同情的だ。他方、シーア派テロ組織たるヒズボラがこれ以上力を得てはならないとの危機感から、3月上旬、GCC情報相会議は、ヒズボラの宣伝とみなされるあらゆる報道を禁止する共通のメカニズムを立ち上げることを合意した。人口の過半数をシーア派住民が占めるバーレーン、油田の集中する東部地区に全人口の10%に相当するシーア派住民が住むサウジアラビアなどで、「分離主義」が煽られるならば、それは「アラブの春」第3幕の始まりに他ならないからである。

解き放たれたイランの神権政治

◆経済制裁解除がもたらすもの

イランは、神の意志を正しく解釈できる(!)という聖職者によって統治されている珍しい国だ。バチカンというカトリック聖職者の「国」が、他国を攻撃する軍隊を持たず、その宗教的メッセージは概ね世界平和に貢献しているのに対し、イランはロウハニ大統領(聖職者)よりも高位の最高指導者ハメネイ師の裁可の下、イラク、シリア、イエメン等に戦闘員を送り込み、また、現地の武装組織を支援して戦争を指導し、地域を大いに不安定化させている。1979年にこの政権が誕生して以来、中東のアラブ諸国と欧米は「革命の輸出」を許さない、と一貫して封じ込め政策を続けてきた。しかし1月、同国は核兵器開発を当面断念することの見返りに、長年苦しんできた経済制裁から脱却した。「泣く子と地頭には勝てぬ」というが、「悪の枢軸」(イラン)は「大悪魔」(米国)を完全に押し切った感がある。

◆「地域覇権狙う」 米当局者が指摘

イラン・イラク戦争が起きたのも、スンニ派アラブ諸国の連合体たるGCC(湾岸協力会議)が創設されたのも、すべてはこの神権政治の脅威が原因であった。この37年間の歴史と、現実に今、イランがどのような行動で近隣諸国に政治的、軍事的に介入しているかを考慮すれば、制裁解除など考えられないというのが湾岸アラブ諸国の本音である。先日、モレルCIA前副長官は米議会公聴会で「地域覇権を狙うイランの野望」に注意すべきと発言したという。ならば米国もそのことを知らずにナイーブな外交をしている訳ではなかろう。「世界はより安全になる」というオバマ大統領の発言の裏に、イラク戦争に勝ちながら、イラクの権益から排除されて大損害を被った米国の政策決定者が、「借りはサウジアラビアで返そう」などとサウジの体制転覆を考えていないことを祈るほかはない。

◆シーア派過激主義にも警戒を

シーア派とスンニ派の対立が教義をめぐる宗派対立であるとの説明に間違いはないが、シーア派の興りが、誰がイスラム国の統治者となるか、との政治闘争そのものであったこと、及び、ペルシャ民族の覇権を拡大すべくサファヴィー朝の創始者イスマーイール一世(在位1501-24)がイランを意図的にシーア派化した事実を忘れてはいけない。これは宗教の問題である前に覇権争いなのだ。イランの神権政治が猛威を振るう限り、スンニ派アラブ政権下にシーア派住民が「隷属」する諸国に平和はない。そのことは、イラク政治の戦争終結後10年以上の混迷と、シリア内戦に解決策が見いだせないことだけを見ても自明である。「イスラム国(IS)」やアルカーイダというスンニ派過激主義者の問題のみに目が奪われている間に、シーア派過激主義(特に武装民兵組織たるヒズボラなど)が市民権を得るという奇妙な展開となっている。唯一楽観的過ぎる期待をするならば、「太陽と北風」の例えにある如く、世界に開かれたイランとなることで市民が目覚めることであろうか。

イスラム世界の変革に期待する

◆アラブの春から5年 深まる混迷

サウジアラビアの著名ジャーナリスト、カショギ氏は、ドバイのムハンマド首長の言葉を借りて、「叡智とガバナンス」によって「幸福な中東」という夢は実現可能だ、と意気消沈気味の世論を鼓舞しようと懸命だ。しかし、「アラブの春」から丸5年が経過した中東の安全保障をめぐる情勢は、客観的に見て今後も一段と悪化する可能性が高い。チュニジアに始まった革命の波は、ノーベル平和賞をもたらした民主化プロセスを生んだ一方で、エジプトにはシシ政権という「アンシャン・レジーム(旧体制)」が強権的な政治を復活させた。シリアの内戦に至っては「第三次世界大戦」と呼ぶ人も出る始末で、米、ロ、仏、トルコ、イラン、イスラエルなど大国の直接介入に発展した。主(あるじ)なきリビアの砂漠はテロリスト安住の地と化し、世界各地で中東由来のテロ事件が間欠泉のように噴出している。

◆宗教的過激主義をどう抑えるか

革命とは暴力による政権の打倒であり、打倒に成功しても、代替権力が確立され、法と秩序が強制されなければ意味はない。1979年のイランの革命は聖職者階級が乗っ取った。エジプトでもイスラム過激主義のムスリム同胞団が宿願を果たしたかに見えたが、旧体制の大反撃に遭い、再び地下に潜ってしまった。シシ政権の人権を無視した強権政治は欧米の批判に晒される半面、もし、この歯止めがなかったらイスラム過激主義は世界をどこまで混乱に陥れたのか、という問いに答えられる指導者はいない。宗教的過激主義を抑えていく上で、問答無用で牢獄にぶち込むエジプト方式はひとつの選択肢なのだ。しかし、その方法によっても過激主義者は信条を変えず、結果、テロが生まれるのだ、と人々は考える。過激主義を抑えるには、その「間違った考え」自体を正す努力をしなければならない。

◆サウジの漸進改革

「革命」がまだ及んでいないサウジアラビアは、もちろんそのことに気付いている。ワッハーブ主義という「過激主義」を屋台骨に建国された同王国では、その思想がビンラディンを生み、国民の少なからぬ層が持つIS(イスラム国)への心情的支持、金銭的支援につながっているという事実がある。9.11事件以降、政府は過激主義の誤りを積極的に正し、穏健なイスラムのリーダーに変貌しようと努力している。12月の女性の地方議会選挙初参加に見られるように、改革が漸進しているのだ。「世俗主義」 は、敬虔なイスラム教徒の間で禁句だが、宗教上の教えは個人の心の問題としてとどめて置き、他の宗教や無宗教の人とも普通の態度で接することができるという世俗的な宗教にイスラムが変ることができるのかどうか、が問われている。2016年の人類史上の課題は、イスラムだけが「神懸かった」宗教でいてよい、という独りよがりを是正することである。 

「シリア分割統治」の現実を見よ

◆ロシア介入ではっきりした内戦の構造

ロシアの軍事介入で、シリア内戦が「複雑化した」との邦字紙見出しを読んで驚いた。むしろこの戦争の「構造」、つまり、誰が何のために戦っているのか、ということがこれではっきりしたと感じていたからだ。「本気のロシア」という、盤石の後ろ盾を擁するアサド政権への反乱が、如何に無謀な冒険であったかを世界は目の当たりにした、ともいえる。イスラム過激主義者を含む(!)革命勢力は民主主義と自由を求めていた。これを米国がしっかり支え、軍事作戦に乗り出していたら、話は別であったのだが、オバマ米大統領は化学兵器を使用したアサド政権の「攻撃を決定した」と宣言しながらこれを引っ込めた。すると怪物IS(イスラム国)が忽然と現れ、米国はこれを爆撃してアサドを利している。

◆「アサド国」は倒れない

戦況が落ち着きを見せれば、政治解決の気運が芽生えるだろう。米国は、ロシアの軍事行動に懸念を示すと言いながら、もはやアサド抜きの交渉にこだわっていない。一般市民の頭の上から爆薬を詰めた樽を落とすという非道を続けたアサド政権に新生シリアを率いる指導力が残っているとは思わない。しかし、アサドであれ、今後選ばれる別の指導者であれ、ロシアが実質的な「宗主国」となるアラウィー教徒主体の小国家は、現実に存在しているし、今後もラタキア、タルトゥースの地中海沿岸地方から中部ホムスに至る地域に安定的に存在することが間違いない。一方、彼らの攻撃から難を逃れた大量の難民(スンニ派住民)を保護する、トルコに隣接した北部安全地帯の形成も急がれる。この地域では既にトルコリラが流通し、事実上の「トルコ化」が進んでいるようだ。

◆「イスラム国」 全当事国が存続望む皮肉

アサド政権と共闘し、ダマスカスからレバノン東部に至る戦略的拠点を死守したシーア派民兵組織ヒズボラも、「ライオンのシェア」を獲得する。イラン革命ガードの別動隊と言われるヒズボラは、ロシアのお墨付きを得て、テヘラン・バグダッド・ダマスカス・ベイルートを結ぶ長大なシーア派ベルトの形成に汗を流すだろう。この連結に立ち塞がる形でシリア・イラクに跨る地域を支配している「イスラム国」もすぐには消滅しない。それは、皮肉なことにすべての当事国がその存続を望んでいるからだ。ロシアとアサド政権にとっては自らの正統性を主張する理由であり、米軍事産業は大儲けし、イランはイラクのシーア派政権テコ入れの口実を得ている。だから、誰も本気で攻撃しない。残るシリア南部はイスラエルとヨルダンが国境線を修正する。このような「シリア分割統治」は、既に事実上始まっているのだから、来る「ジュネーブ会議」では、これを出来るだけ早く承認し、難民・避難民が安全に住める地域を一刻も早く確保するよう、各国は譲歩しなければならない。

イラン核合意で混乱する中東情勢

◆よみがえるキッシンジャーの言葉

「米国の敵は米国を恐れるべきだが、米国の友邦はもっと恐れるべきだ」。25年間駐米大使を勤め、米国を最も良く知る男であるサウジアラビアのバンダル王子が引用したこの言葉は、キッシンジャー元国務長官のものとされる。7月中旬、イランとの核合意の成立に失望したバンダル王子はワシントンポスト紙に投稿、この名言を引用した上で「今や中東の人々は『神のご意志』と、最も古くかつ力強い同盟者(だった米国)以外の諸勢力に頼らざるを得なくなった」と嘆いた。アラブ世界に宗派間対立を持ち込みあからさまな覇権を求めるイラン神権政治と、スンニ派の盟主・サウジアラビアは、イラク、シリア、レバノン、イエメン、バーレーン等、周辺各地で既に熱い戦争を構えている。

◆ロシア、宿願の失地回復チャンス

当然、サウジアラビアはロシアと接近する。当初は、それを見たオバマ政権が翻意してくれればよい、との期待がこもっていたが、このメッセージすら無視され、イランが国際社会に復帰することが決定的と知ると、独自外交路線に乗り出した。アサド政権をどう始末するか、イエメンの戦争をどう終結させるかが現在の2大ホット・イシューだ。シリアではイラン革命防衛隊のメンバーやその別動隊と言ってよい「ヒズボラ」戦闘員がアサド政権を支えて戦っている。一方のイエメンでは、サウジアラビア軍が直接介入しており、毎日のように戦死者を出しているのだ。ロシアがイランに強く介入すれば、問題は解決に向かうが、米国が「戦略的な選択ミス」を犯した現状は、ロシアにとっては前世紀からずっと続いてきた地政学上の失地を回復する大チャンスである。だから容易な交渉ではない。

◆サウジ王子、米紙投稿で「米の暴挙」非難

バンダル王子は上記の投稿で、(北朝鮮の核武装を許した)1994年のクリントン政権による北朝鮮との合意は、誤った諜報情報に基づく判断であったと言い訳の余地もあるが、今次オバマ大統領の選択はすべてを知り尽くした上での決断ゆえ更なる暴挙だと批判している。「アラブの春」を経て、中東にはテロと戦争が溢れているが、その主要なプレイヤーであるイランを米・ロがこぞって支援する構図になってしまった。米国は、ウクライナをめぐってロシアに経済制裁を加え、安保理ではことごとく対立するというのに、あなたの口利きのおかげで何とかイランとの合意がまとまったと、オバマ大統領はプーチン大統領に感謝の電話をかけたのであった。

自由と人権を逆手にとる過激主義

◆アルジャジーラ記者を拘束

「記者であることは犯罪ではない」。それは、6月下旬、ドイツのベルリン空港でエジプト当局の国際手配に基づいて身柄拘束されたアルジャジーラのアフマド・マンスール記者がテレビカメラに向かって示したプラカードの標語である。近代史が確立した最も重要な価値のひとつが報道の自由であることは疑いないだけに、「ドイツのような先進国がエジプト専制政治のお先棒を担ぐはずがない」との「予言」どおり、同記者はドイツ司法の判断により無罪放免となった。スタジオに戻った同記者は、「自由の喜びを噛みしめている。事件は終わっていない。70人もの無実のジャーナリストがエジプトで今も拘束されている」と述べた。うち1人は死刑、13人が終身刑判決を受けているという。

◆「痛恨のエラー」、独当局

イスラム過激主義集団であるムスリム同胞団の強力なプロモーターであるマンスール記者は、ドイツ当局痛恨のエラーと見られる今回の事件を、「アッラーの崇高なる御業だ」と称えた。ドイツという世界に冠たる民主国家によって自らの無罪が証明されただけでなく、同僚ジャーナリストや同胞団メンバー(死刑判決のモルシ元大統領を含む)への容赦ないエジプト政府の弾圧の非を世界に示す好機となったと考えたからだ。実際、ドイツ国内では、なぜ記者を拘束しなければならなかったのか、検証が続いている。ただ、エジプト当局による同胞団弾圧は、サウジアラビアを中心とするイスラム圏をはじめ世界的に一定の支持を得ていることも事実だ。今日のイスラム過激主義の隆盛を招いた責任の一端は、マンスール記者とアルジャジーラにあると考えられているのである。

◆「盗人猛々しい」

過激主義は、民主主義と人権を盾に政権に至ることを常套手段とする。民主的な選挙をすると宗教的専制政治を招く、ということは中東イスラム世界のもはや常識となった。マンスール記者の釈放の言に、私は正直なところ「盗人猛々しさ」を感じた。報道の自由、表現の自由は、それが守ろうとしている社会を擁護するために保障されているはずである。ドイツは一方で反イスラム右翼勢力の表現の自由をどう規制すべきか、ということでも悩んでいる国だ。過激主義は民主的な制度を逆手にとる。だからといって、行き過ぎた処罰はできない。まことに悩ましい問題だ。

カダフィの亡霊

◆開かれた武器庫

2011年2月25日、反政府勢力の一段の攻勢が伝えられる中でカダフィ指導者(当時)は演説に立ち、「武器庫を開ける」と絶叫した。その目的は「人民ひとりひとりに、そして全ての部族に武器を行き渡らせるため」であるとし、「人民が一丸となって敵と戦おう」と政権への支持を訴えた。この予告通り武器庫は開かれて大量の武器弾薬がばらまかれた。それは、リビア国内だけでなく、主にサブサハラ・西アフリカ方面へと流れ、皮肉にも、カダフィ追い落としでリビアに漁夫の利を狙ったフランスの権益を直撃した。マリ、ニジェールやナイジェリア方面のイスラム過激主義者を勢いづかせ、また、アルジェリアのイナメナスで発生した人質事件にも使われて、極東の尊い命も奪った。

◆退役准将の反乱拡大

現在、リビアは国民議会に正統性を求める暫定政府により代表されているものの、当初目指した「刀狩り」と武装組織の正規軍編入は成功せず、市中には今も約2000万丁の火器が滞留し1700余の武装集団が覇権を争っていると言われる。そのような中、ハフタル退役准将の反乱が拡大している。20年前にカダフィに反乱を起こそうとした人物で、2月には実態もないのに「全軍を掌握した」とテレビ会見して物議を醸したかと思えば、今度は本当に西部ベンガジで大きな戦闘を起こし、首都トリポリでは国民議会を襲撃して、多数の死傷者を出している。この他、3月には武装勢力が実力で原油積み出し港を制圧、原油を輸出しようとして、米特殊部隊の介入を招いた。

◆避けられない破綻国家化

問題は、中央政府に武装勢力の勝手な振る舞いを押さえ付けるだけの力がないことで、専門家の多くは「内戦」と「破綻国家」化を危惧している。破綻国家といえば、その代表例アフガニスタンは、アフガン戦士と呼ばれる「イスラム聖戦士」を全世界に拡散させ、前世紀末からのイスラム・テロの時代をもたらした。リビアの破綻国家化は、その広大な領土の南部・砂漠地帯を武器や麻薬の密輸基地とさせ、テロリストに安住の地を与えることと同義だ。そしてよほど欧米が積極的な介入をしない限り、同国の破綻国家化は避けられない。カダフィは死んだが、その亡霊は、リビアの石油利権を共謀してわが物にしようとした仏・カタール連合の野望をくじいただけでなく、全世界を苦しめ続けている。

湾岸諸国の安全保障に不安

◆補完関係にある日本とアラブ諸国

4月に東京で湾岸協力会議(GCC)が開催した連続セミナーは、改めて日本経済の中東諸国依存の実態を確認する機会となった。わが国経済は、湾岸産油国が産出する化石燃料(石油、液化天然ガス=LNG、液化石油=LP=ガス)に過度に依存しているだけでなく、例えばドバイのあるアラブ首長国連邦(UAE)一国を取っても進出日系企業数431社、在留邦人数は約3,500人に達しているという。非石油部門の貿易や、建設を伴う巨大プロジェクトへの共同出資や受注が急増し、アラブ人の好きな言葉である「補完関係」の度合いを強めている。彼我のビジネスを結ぶ立場の仕事をする者にとってはご同慶の至りであるが、過激派組織「イスラム国」の台頭、イエメンへの軍事介入など、「アラブの春」に起因する「野火」の延焼を食い止めるのに青色吐息のようにも見える湾岸王制諸国の安全保障に不安はないか?

◆イランのアラブへの「ちょっかい」

今年、日本との外交関係樹立60周年を迎えたサウジアラビアへは日本からの直接投資が増大、日本で学ぶ留学生も桁外れに増加し、国費留学生だけで約640名に上り、関係を深めている。この王国は、原油価格の切り下げ戦争を仕掛ける余裕のある資金力と王家に対する国民の敬愛の念、など、どれをとっても短期的な不安材料は見当たらない。しかし、中期的に懸念されるのはスンニ派・シーア派の宗派間対立を利用したイラン神権政権の「ちょっかい」がここのところ顕著で、これを(理由はよく分からないが)米国が放任していることだ。サウジアラビアはシーア派を正しいイスラムと認めず、排除する思想(ワッハービズム)を政治権力のよりどころとして建国された経緯がある。

◆力のバランスが崩れる

イランは、シリアの内戦に「身内」であるシーア派民兵組織ヒズボラを参戦させ、イラクでは「イスラム国」放逐を狙ったイラク政府の戦争に公然とイラン人戦闘員を送り込んでいる。4月、オバマ米大統領は これを評して「外国人戦闘員はイラクの主権を尊重せよ」と述べた。イランのアラブ国へのあからさまな干渉は問わず、「おとなしくやってくれ」と言わんばかりだ。イランはイエメンのシーア派部族も支援しており、同国の正統政府が危機に瀕してサウジアラビアが空爆という強硬措置に出たのは当然だ。湾岸諸国は伝統的に親米で、米国が庇護を与えて安定してきた。この力のバランスが崩れると、ロシアがここぞとばかりに口を出す。誠に困った状況が生まれてしまった。 

「イスラム国」を作ったのは誰か?

◆「仲介役」を演じた聖戦主義指導者

ヨルダンのスンニ派聖戦主義の精神的指導者マクディシ氏は、日本人人質が斬首され、ヨルダン空軍のパイロットが焼殺されたと判明した後で地元テレビに出演し、自分がヨルダン政府と過激組織「イスラム国」の間で捕虜交換の仲介をしていたと表明した。交換交渉の対象だったヨルダン軍飛行士は、昨年末の拘束から間もなく殺害されていたようであり、イスラム国はマクディシ氏とヨルダンにうそをつき続けていたことになる。そして、イスラム国側が望んだリシャウィ死刑囚の釈放の交換条件として突如後藤健二氏の解放が提示され、彼は驚愕(きょうがく)したと述懐した。欺瞞(ぎまん)に満ち、焼殺や斬首という、イスラムの教義とは相いれない手口をもてあそぶイスラム国について、マクディシ氏は「聖なる宗教に泥を塗った」と強く非難した。そしてその一方で、イスラムは「無罪」だ、われわれの(正しい)運動は、やがて日の目を見るだろうと結んだ。

◆「聖戦士」を送り込む役割

本当にそうだろうか。彼が「仲介者」の役を演ずることができたのは、彼のチャネルを通じて、多くの「聖戦士」をイスラム国に送り込んだからだ。ヨルダンであれ、サウジアラビアであれ、欧米諸国であれ、その国に留まっている限りは武器を取る可能性のない若者がイスラム国を目指すのは、聖戦を美化する教義にそそのかされるからである。百歩譲って、イスラム国の正体が旧バース党の残党を核とする暴力集団であると認めるにしても、彼らがカムフラージュのためにかぶっているイスラム聖戦主義の衣を縫い続けたのは、他ならぬマクディシ氏自身だったではないか。

◆欧米のイスラム恐怖症に歯止めを

ヨルダンのアブドラ国王は「短期的には軍事、中期的には治安、長期的には思想対策が重要」と、意識改革の重要性を強調した。エジプトのシシ大統領も地元宗教権威に働き掛けている。不信心者は殺してよいとか、聖なる戦いのために銃を取るのは信徒の義務、といった過激な教義が世界中のモスクから一掃されない限り、これを利用してテロを働く勢力の台頭を抑えることはできない。ムスリム同胞団を非合法化し、大弾圧を開始したエジプトと湾岸諸国。ヨルダンはもっとソフトな方法で思想改革を進めるという。その一方で重要なことは、欧米社会に広がる「イスラム恐怖症」に歯止めを掛けることだ。欧米社会でイスラム教徒が阻害され、攻撃される限り、イスラム過激主義は反作用の法則で生成するからである。世界は歴史的な転換点にあると言えよう。

追いつめられるイスラム過激主義

◆カタール、同胞団幹部を飼い殺し

友邦アラブ諸国の諫言をこれまで聞かなかったカタールが「改心」し、サウジアラビア国王の名代に付き添われる形で特使をエジプトに派遣、シシ大統領にわびを入れた(12月20日)。翌日、首長家有力者であるこの特使はアルジャジーラに異例の出演をし、(カタールは、エジプトのイスラム組織ムスリム同胞団の多くの幹部を受け入れているが)「政治活動を行わない限り、彼らは歓迎される」と述べた。クーデターでモルシ前大統領を投獄したシシ政権の打倒こそ現在の同胞団の活動目的であるから、事実上、カタールは彼らを飼い殺しにすると宣言したのだ。彼らの首領で、かつてアラブ世界に絶大なる人気を博したイスラム法学者ユースフ・カラダウィ師は、今や国際刑事警察機構(ICPO)のお尋ね者だ。一歩でもカタールを出れば逮捕の憂き目に遭う。

◆「イスラム国」も旗色悪い

「イスラム国」も有志連合による約1400回に及ぶ爆撃とクルド人民兵組織の敢闘の前に旗色が悪い。逃亡を企てた外国人聖戦士100人が仲間に処刑された、との報道が事実なら、イスラム国ももはや「神の国=ユートピア」たる仮面を脱ぎ捨てて、裏で支えてきたフセイン政権の残党が得意とする恐怖政治の本性が現れたのかもしれない。欧米では、カナダ、オーストラリア、フランスと相次いでイスラム過激派の関与が疑われるテロが発生したが、いずれも組織的なものではなく、一般犯罪歴や、精神的な病歴のある者がイスラム過激主義をいわば模倣したような事例であった。

◆サウジの姿勢が一転

今、「聖戦の大義」が見えない。ビンラディンのビデオメッセージに涙し、ツインタワーの崩壊映像を見て狂喜乱舞した人々の心が大きく揺れているのだ。今やイスラム教徒は仲間同士で殺しあっているだけではないか。聖戦士は、米やイスラエルを懲らしめるのではなく、同胞イスラム教徒の子どもを虐殺し、女性を陵虐しているのだ。パキスタン・タリバン運動やボコ・ハラムのように。そのような中で、スンニ派世界のリーダー、サウジアラビアがこれまでの曖昧な姿勢から一転、イスラム過激主義と戦う姿勢を鮮明にしたことは画期的な変革であり、成功を祈りたい。内務省が発表した135人の「テロリスト」の大半はいわゆる「思想犯」だった。SNSの交信記録を基に逮捕されたという。同国内の聖戦を美化する勢力はいまだ根強いだけに、その道のりは平坦でないにせよ、である。

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