不信心者(ふしんじんもの)

久しぶりに「講演」をして、短い時間にイスラムの基本的な概念を説くことの難しさを感じた。新釈「アラブの春」講演の全体像は、いつかこの欄でご紹介したいと思うが、きょうは特に通じにくかった「不信心者」(英:infidel、亜:kaafir)について所感を記す。
「タクフィール(takfir)」(←相手は不信心者である、と宣言する)という不思議な動詞(ここでは動名詞)に基づく、「「タクフィーリー」という集団の存在は、アラブの春の現状と今後を語る上で外すことのできないキーワードだが、その説明が厄介なことが主因なのか、邦字メディアに登場したのを見たことがない。これはある意味日本マスメディアの怠慢であって、少し解説をつければ誰でも理解できる概念である。
説明しない⇒誤解が広がり無関心が増える⇒報道しない⇒更に無関心になる⇒ますます報道しない
この悪循環で日本人は益々世界の情報の宝庫・中東から離れた田舎者になっている。悪い意味で米国市民の後追いをしている。
不信心者、という言葉は漢字で書くと意味は8割方伝わるが、音で聞くと最初に「ふ」という聞き取りにくい音が入っていることもマイナスに働いて、何のことかわからない。この言葉を日常聞くことも、目にすることも、イスラム学かキリスト教神学の学生以外は100%ないので、私の話も理解し辛かったらしい。
イスラムは平和の宗教であり、イスラム教徒がイスラム教徒を殺すなどということは絶対にあってはならない。然るに、その宗教心の篤い人たちが熱心に人殺しをしているのは、他でもない、この「タクフィール」思想を援用しているからである。つまり、「お前は不信心者だ」と宣言すれば、相手がたとえ敬虔なイスラム教徒であったとしてもその瞬間に「カーフィル(不信心者)」となり、ジハード(聖戦)の論理、即ち「イスラム共同体の敵を攻め滅ぼすのはイスラム教徒の義務」が適用できることになる。
アルカーイダなど、イスラム教スンニ派過激主義者はこの思想を武器にイラクのシーア派やシリアのアラウィ派イスラム教徒と闘っている。また、忘れてならないことはサウジアラビアの国家の基盤であるイブンワッハーブの教えもこのタクフィーリーであり、その御旗の下にシーア派が討伐されて現在のサウジアラビアが成立していることだ。
もうひとつ、重要なことは、宗教に傾倒すればするほど、このように信心者=信者(ムーミン)と不信心者=異教徒を区別して考えざるを得なくなるという点だ。宗教的過激主義者でない人でも信仰心の篤い人と、われわれとの間に深い溝のようなものを感じながらはや30年の月日が流れた。仏教徒は100%カーフィルである。