◆「エルサレム陥落」
トランプ大統領の決定が実行され、米大使館はエルサレムに移転した。アラブの識者はこれを評して「エルサレム陥落」と呼ぶ。エルサレムが実質的に陥落したのは1967年、第三次中東戦争の時であるから、もう50年以上経っている。しかし戦争で負けても、アラブ側は占領の違法性を盾に、「陥落」を認めて来なかった。それは、日本を含む国際社会も同じである。崩れたユダヤの神殿の上にイスラム教徒が聖地と崇めるモスクが鎮座し、イエス・キリストの足跡と墓所が点在するという、世界に例を見ないこの聖都の現状変更は、民族間の憎悪と大戦争の引き金になるとの共通認識があるからだ。事実、占領後のイスラエル歴代政権でさえその危険性への恐れから、旧市街住民の慣行を尊重し、宗教の共存を容認していた。
しかし情勢は変化し、そのエルサレムを超大国・米国がイスラエルの首都と「公認」した。アラブ側は、もはや万事休した、と敗北宣言をしているのだ。もちろん、各国は怒りと非難の声明を出した。イスラム協力機構も「対抗策」を決定した。しかし、全ては「紙の上のインク」(空虚な文書を指すアラブの諺)である。大使館開館祝賀式に出席した国に対抗策が取られたなどとは寡聞にして知らない。
◆本音は対イスラエル正常化
パレスチナと、これを支持する勢力は、米・イスラエルのこの措置はパレスチナ問題を「抹殺」する企てだ、と非難している。しかし、インターネット上で注目されているのは、問題の「抹殺」を望んでいるのは米・イスラエル側ではなく、むしろアラブ側だ、との論調である。この問題が始まるずっと前から、サウジアラビアやアラブ首長国連邦といった一部の湾岸諸国は、1979年に白旗を上げたエジプトの後を継いでイスラエルと国交を正常化したいとタイミングを見計らっている、と噂されてきた。
もちろん、イスラエルとパレスチナが和平合意できるなら、その後に正常化するのが理想。だが、イスラエルが交渉のテーブルに着かず、一方的に入植地を拡大している中で、そして、交渉事項であるエルサレムの帰属の結論を先取りして首都宣言し、これを仲介者である米国が容認するという状況の中でイスラエルとの正常化が行われるとすれば、それは「パレスチナ切り捨て」、すなわち「抹殺」に他ならない。それを企図するこれら諸国の指導者が裏切者もいいところだ、と非難されるのも無理のないことだ。
◆同化政策とる余裕ない
パレスチナ問題発生の直接の原因は、シオニストと結託した当時の欧米諸国にも大いに責任のあるイスラエル建国そのものである。しかし、その一方でアラブ諸国は、この「大災厄」によって発生した大量のアラブ難民を受け入れたものの同化させず、「パレスチナ難民」と呼んで、一般市民と区別、差別した。もちろん、紛争当初は彼らをパレスチナ(=イスラエル)に帰還させることが目的であったのだから、すぐに同化政策をとる必要も、義務もなかったとは言える。しかし、その後戦争に負け、政治・外交的にも負け続ける中で、(唯一ヨルダンがそうしてきたように)パレスチナ人の同化政策が取られていれば、皮肉な言い方だが、問題は「抹殺」されていたかもしれない。しかし、今も湾岸諸国では、2代目、3代目としてその国で生まれても「パレスチナ人はパレスチナ人」である。問題を消し去りたいのなら、同化政策が取られなければならないが、石油収入が下がる中、爆発する人口の大部分を占める若年者に対し福祉国家の生活水準を維持するだけでもやっとの湾岸諸国に、そのような選択肢を選ぶ余裕は全くない。