6万超の大観衆
12月10日、国際サッカー連盟(FIFA)アラブ・カップの決勝トーナメントの時のことである。カタール対アラブ首長国連邦(UAE)戦をホストした真新しいスタジアムの電光ボードが、入場観客数6万3439人を表示した。カタールにおける史上最多記録だった。
実際のところ、人口約288万人の小国で連日6万人を超える観客を集めるスポーツ・イベントを開催することは容易ではない。「サッカーは好きだが、家で英プレミアリーグを見る」というお国柄である。世界の著名選手を買い集めた国内リーグは閑古鳥、という現実があった。
このことは、サッカーの2022年ワールドカップ(W杯)開催国がカタールに決まって以来、FIFAの大きな心配事だったが、杞憂(きゆう)に終わりそうだ。コロナ禍も克服し、W杯本番の半分の規模ではあるが、FIFAの名を冠した地域大会が成功裏に閉幕したことで、関係者は胸をなで下ろしている。
◆人口少なく、大半は外国人
英軍のスエズ以東撤退(1968年)で生じた政治的空白を契機に独立したカタールは、今年建国50周年を祝った。独立した71年当時の人口は約10万人とされているが、今も昔も、人口の大半は外国人だ。別の国として独立した隣国UAEを率いた故ザーイド大統領が、カタールの人口の少なさを揶揄(やゆ)して「ホテルひとつ」と言った話が伝わっている。カタール人(国籍保有者)は、カイロの大きなホテルの宿泊者数程度だ、という侮辱である。実際、カタールの国民が何人いるかは、長く国家の重要機密であった。しかしハマド前首長は、保守的、閉鎖的な政治を行っていた父を追放すると、国を開放し、全方位外交を展開し、液化天然ガス(LNG)大国としての産業投資、インフラ投資を加速させてUAEとその国富を競った。
ところが、2017年にサウジアラビア、UAE、バーレーン、エジプトが突如断交と経済封鎖を発表、この兵糧攻めのような嫌がらせは今年初めまで続いた。封鎖を仕掛けた側の言い訳は、カタールが中東のイスラム勢力を支援し、衛星テレビのアルジャジーラを通じて内乱を扇動しているということだった。
◆ビザ不要の親日国
カタールの歴史において、21年はひときわ輝かしい年として記憶されるだろう。13項目の封鎖解除のための要求に何一つ譲歩することなく、先の各国との関係を正常化すると、8月にはイスラム主義組織タリバンがアフガニスタンの首都カブールに入り、それまで粘り強く対話を仲介してきたカタール外交が一躍世界の注目を浴びる。米国をはじめ、ほとんど全国籍のアフガン在留者と避難民はカタールの首都ドーハ経由で引き揚げた。40年以上イランと話のできない米国は、スイスにイランにおける利益代表を依頼しているが、アフガンについては、11月、カタールにこれを要請した。「ホテルひとつ」はそれほどに、信頼にたる国に成長したのである。
カタールには、米中央軍が巨大空軍基地を置いているほか、17年の危機に際しトルコが経済面だけでなく、軍事的にも強い支援姿勢を示した。このことがなければ、サウジ軍から侵攻されたのではないかとの分析もあったほどだ。しかし、この危機を乗り越えて、「湾岸首長国」(カタール、UAE、バーレーン)がそろって50周年の繁栄を祝うことができたことは本当に喜ばしい。特に、カタールとUAEはわが国にとってもエネルギーの売買だけでなく、今、最も近い国である。コロナ禍にもかかわらず飛んでいる直行便に乗れば、ビザなしで入国できる親日国だ。次の50年、わが国は両国とのパートナーシップ強化を世界戦略の中枢に据え、共栄を図っていくべきだ。