◆相次ぎテロで「禁句」に言及
ロンドンで3か月間に3度目の無差別テロが発生した翌日の6月4日、メイ首相は「もうたくさんだ」との強い非難の言葉と共に、惨劇を繰り返さないためには「4つの変革」が必要だと声明した。注目されたのは、首相が「共通のネットワークは存在しないが、事件はひとつの重要な意味でつながっている」として、「イスラム過激主義という邪悪な思想」と戦う、と述べたことだ。首相はさらに「それは、憎悪を煽り、分裂と分離主義を慫慂し、西洋の自由と民主主義、人権を重んじる価値がイスラムとは相容れないと主張する思想だ」、と断定した。この認識は世界的にも広く共有されているが、「イスラム」を名指しすると、英国社会のイスラム系移民、反イスラム勢力の双方を刺激するため、いわば、禁句であったはずだが、相次ぐテロにもう堪忍袋の緒が切れた、といった体である。
◆事件のたび「イスラム無罪」論
最近、世界的には「暴力的過激主義」(Violent Extremism)対策という用語が用いられ、イスラム世界を刺激しない形で、しかし、イスラムの教義から派生している(あるいは、西欧からのイスラム世界への加害に対する反発として生じている)過激主義思想をどうやって抑え込むか、という取り組みがある。
メイ首相が変革の2番目に挙げたとおり、過激思想はインターネットによって拡散しているので、サイバー空間に積極的に規制をかける、または、逆に、反過激思想のキャンペーンをネット上で行う、といった対策が有効と見られているのだ。テロの直接的な被害が発生している欧米と中東イスラム世界の政府レベルでは、この面の協力はある程度進んでいる。しかし、変わることができずにいるのは、イスラム世界の宗教指導者と一部イスラム教徒のメンタリティであろう。事件が起こるたびに、「イスラムは無罪!」つまり、「過激思想はイスラムとは無関係だ」との主張が指導的立場にある人や言論界から出される。
メイ首相も過激思想が問題だと言っているのであり、宗教としてのイスラムが悪いとは一言も言っていない。しかし、現実は残酷だ。テロを起こしているのはイスラム教徒であり、間違っているとはいえ、宗教的な動機によって無辜の命を奪う暴挙に出ているのだ。反イスラム感情が高まるのは当然である。
◆過激思想の素地認めよ
恐れていたら、やはり「仕返し」と思われるモスク周辺での襲撃事件がまたロンドンで発生した。私見にわたるが、イスラム世界は変革する必要があるだろう。過激思想を生んでいる素地が宗教の教義そのものにあることを認め、教義を変えることができないにせよ、テロリストを生んでいるのはイスラム世界であり、イスラム世界としてそのことに責任を感じその対策を講じる、ということでなければならない。
しかし、現実には多くの武装集団、民兵、私兵が玉虫色の合法性を主張し、宗教権威によってお墨付きを得ている状態だ。また一方で西欧社会は、メイ首相のようにイスラムを名指しして非難することは出来るだけ避けるべきである。事実であっても時にそれは言わない、というのが人智というものだ。「イスラ
ム」とタグをつけるだけで、「首相は過激思想を取り締まっているのであって宗教は非難していない」といった言い訳は、激高した大衆には無力となる。仮に世界の「暴力的過激主義」の 90%までがイスラム由来のものであったとしても、イスラム以外の過激主義は現存するのだから、普遍的・包括的な取り組みであるとして、世界が一致協力して対策を進めていく必要がある。