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ベールを被った女性宰相

NZ首相にイスラム世界から称賛の声

モスクで礼拝中の人々を無差別に大量虐殺するという衝撃的な事件の対応に当たったニュージーランドのアーダーン首相のイスラム圏における評価がうなぎ上りだ。イスラムのしきたりを受容する形でベールを被った女性宰相の姿はドバイの超高層ビルにも投影され、「ノーベル平和賞を!」との呼び声まであるという。首相は率先して頭髪を覆い、国会にイマームを招いて、世界的にも例のない議場での「コーラン朗誦」をさせ、テレビ・ラジオ局には礼拝の呼びかけである「アザーン」の放送を要請した。この、異例づくめの「パフォーマンス」は、「謝罪するなら威儀を正してせよ」ということだろう。「犯行は明白なテロ」、「(白人至上主義は)ニュージーランドにも、世界のどこにも居場所はない」、という首相の明解なメッセージが、曲解されることなくイスラム世界に届けられたのは、この「歩み寄り」があればこそ、であった。それは、冷徹に計算されたパフォーマンスであったのか、それとも天才的政治家と言われるアーダーン首相の本能がそうさせたのか。いずれにせよ、傷ついた世界中のイスラム教徒の心を和らげ、双方の過激主義者に教訓を与え、何より、犠牲者と遺族の心に、多少なりとも癒しを届けた。

◆価値観めぐる移民との軋轢が深刻化

それは、危機管理のお手本と言うべきで、憎悪とテロの連鎖を防いだのかもしれない。そんな評価が言われる一方で、一部の専門家には評判が悪い。イスラム教徒でない首相のベール姿は、偽善に過ぎない、というのだ。批判の中には、「ベールを着用しない自由」を求めているイスラム世界の進歩的な女性を裏切った、というものまである。つまり、西側の過激主義を否定しようとするあまりに、イスラム世界の過激主義におもねた、という非難だ。

この議論の根底には、「郷に入って郷に従わない」イスラム教徒、の問題がある。このような、イスラム教徒を中心とする移民と西側の価値観の軋轢は今に始まった話ではない。筆者はイスラム文化論を講じていた十数年前、「関東のある都市で、ベールを着用する移民が急増し地価が急落した。そこで住民がベールの着用を禁止する条例を求める運動を起こすこととなったと仮定して、その正当性を主張する論理を展開せよ」という試験問題を出題したことがある。わが国における移民増加は緩やかで、筆者の予想よりは遅れているようだが、欧米で深刻になっている価値観、習慣の摩擦・対立は、やがてわが国でも顕在化するだろう。先月、佐野市で発生したインドネシア人への加害事件は気掛かりである。

日本でイスラム教徒が「郷に従わない」と

イスラム教徒は「郷に従わない」と述べたが、少なくとも日本のイスラム・コミュニティーについて言えば、それは正しくない。関東に点在するモスクから、もし「アザーン」が拡声器を通じて1日5回、大音響で流されるとしたら、どうなるか。まさに上記のような条例請願が出されるか、その前に忌むべき事件が起こるかも知れない。それを防ぐために、イスラム教徒側で、アザーンの声はモスクの外に漏れないよう、自主規制しているのである。日本に白人至上主義はないが、「排斥主義」は存在する。アーダーン首相のような博愛主義的対応は、日本人の多くの共感を得るが、もし、イスラム教徒が日本の地域社会に配慮しない生活を始めたときには、わが国の極右もイスラム排斥を旗印に加えることだろう。クライストチャーチ事件への日本社会の反応の鈍さには驚いたが、これは時間の問題だ。