「平和」という呪い

◆「平和的デモ」の意味するもの

平和という言葉には呪いがかかっている。その好例を、戦乱に明け暮れる中東に見る。エジプトの「街頭民主主義」の主役であるデモを、主催者は「平和的」デモと呼ぶ。アラブの春が始まってかれこれ3年間になるが、今も続いているこの「市民運動」のおかげで観光客は戻らず、既に何度も破綻している国家経済を立て直す見通しは立たない。ここでいう「平和的」とは、凶器を持たず、暴動・略奪などをせず、ということらしい。また、治安部隊の攻撃を避けようと、意図的に乳児を抱えた女性らを行進の列に加えている。当局側が実力行使した場合、「平和的デモを武力で鎮圧した」と言いたいのである。しかし、現実には抗議行動側が重要な公道を封鎖し、火炎瓶、短刀などの凶器を準備しているため、衝突すると部隊側にも負傷者が出る。

◆目的は「政権打倒」という革命

何より、デモの目的は「政権打倒」という革命である。そのための唯一の手段のデモが平和的であるはずはない。必ず流血の事態を引き起こす。シリアの内戦も、意図的に組織されたデモから始まった。参加者がスローガンとして繰り返し叫び続けたのは「スィルミーヤ(平和的行進)!」だった。その結果、主要都市は完全な廃墟と化し、12万人余が虫けらのごとく殺された(反体制派調べ)。もう一つの例はイランの核「平和利用」だ。イランが核弾頭製造能力の獲得を目指していることは疑いがないというのに、この場合の「平和目的開発」というイランの主張は真の目的を見えなくする隠れみのだ。
  

◆「積極的平和主義」がもたらす結果は?

うそも言い続けると効果がある。今次ジュネーブ会合の結果、イランの平和目的核開発計画の継続が認められ、制裁が緩和されるかもしれない。その場合は戦争になるとイスラエルやサウジアラビアが警告している。またその逆に、交渉が決裂したときこそ戦争だ、とヒズボラのナスララ書記長は息巻いている。エジプトのデモ参加者は「平和」を口にすることで、自分のしていることは100%正当性があると錯覚し、政権打倒が唯一の要求であるデモの強い攻撃性と重い副作用に気がつかない。これらが「平和」という言葉にかけられた呪いだ。自民党は今、「積極的平和主義」なる概念を持ち出しているが、その先にもたらされるものが戦争であることに間違いはない。

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