リビア大水害の教訓

◆激流に襲われた町

 モロッコ南部で数千人が死亡する震災が発生し心を痛めていたら、同じ北アフリカのリビアで洪水が起きた。それも万単位の人が亡くなっていると聞き、仰天した。リビア東部のデルナ(人口約9万人)を激流が襲い、町の約4分の1が住民・建物もろとも、海に押し流されてしまったという。現場からの写真や動画を見て衝撃を受けた。町はワジ(枯れ川)の氾濫原、扇状地の真上に広がっていた。普段は水の流れていない谷を、想像を絶する濁流が下ったのだ。

 ワジ・デルナが、そんじょそこらのワジではないことは、地図を見れば一目瞭然である。それは、砂漠の山岳地帯(ジャバル・アクダル=緑の山)に降る雨水を、東京23区の広さに匹敵する約600平方キロメートルの流域全体で集め、一気に1本の水流となって地中海に排出する仕掛けになっているのだ。いわば、数年ないし数十年に一度、大氾濫を起こすことが確実な超一級河川、いや枯れ川である。そんなワジの土手に寄り添うように家を建てていたとは!?

◆二つのダムの存在

 古来より、砂漠の民は遊牧か定着か、そのライフスタイルを選択してきた。ワジは遊牧民に水源という恩恵をもたらすが、氾濫原に定着すれば、家を流されるのは必定だ。しかしデルナは古代ローマの時代から集落が栄えていた。このワジの氾濫でできた扇状地には地下水が豊富で、人をひきつけたのだろう。一方でこのワジは過去に何度も氾濫し、人々の命を奪っている。昔の人は、どこに住めば安全で、どこが危険か知っていたはずだ。その記憶を住民から消し去ったのは、おそらく上流に建設された二つのダムだ。デルナダムとマンスールダムが、かんがい用に着工されたのは1974年。カダフィ指導者の全盛期である。人々は偉業をたたえたに違いない。そのダムは50年近く、町を洪水から守っていた。

◆尊い人命を守る行動の共有を

 非難の矛先は、ダムの改修を行わなかった「行政」(そもそも政情悪化で不在)に向けられたが、今次の圧倒的な氾濫水量を見れば、多少ダムが強化されていたとしても災害を防げたかどうかは疑問だ。決定的だったのは、気象観測体制が存在しないことだろう。水源への降雨量を観測していないのだから、危険を予知し、避難勧告をできるはずがない。当局は、暴風雨による高潮への警戒を住民に呼び掛けたが、山から水が来ると予期していた人はいなかった、という証言を聞いた。行政も住民も、全く準備ができておらず、亡くなった人々の多くは、深夜、寝たまま溺れ、流された。

 先祖から伝わる経験則を無視して開発し、科学的な知見を生かすこともできなければ、必ず自然は猛威を振るう。まして地球温暖化の影響で、災害のスケールが違ってきている。そのことを思ったとき、それは世界最先端の気象・地震観測体制を享受しているわが国に当てはまると気がついた。どれほど予知能力が高まろうと、性能が高かろうと、津波が襲う海岸に原発を建ててはいけなかったのである。

 今後ますます猛威を振るうであろう異常気象や地震に備える上で、人間はもっと謙虚にならなければならない。その上で、既存の危険を知り、近づく危険を予測し、先んじて避難する習慣を身に着けよう。物質的な被害は克服できる。尊い人命を守る行動を取る知恵を、社会全体で共有しよう。

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