集団虐殺にくみしてはならない

◆「戦闘」ではない、「虐殺」だ

  12⽉1⽇、停戦期限が切れると、イスラエル軍はこれまでにない規模の砲爆撃を陸海空から敢⾏し 、逃げ惑うガザ地区の⼀般市⺠を容赦なく殺害した。1⽇の死者数はパレスチナ当局の発表で200⼈以上。これが最も忌まわしい ジェノサイド(集団虐殺)でなくて何であろうか︖

 その⽇、⽇本のメディアはイスラエル軍が「戦闘再開」と⾒出しを打ったが、反撃する⼿段を持たない⼥性や⼦どもの上に冷⾎にも爆弾を落とす⾏為のどこが「戦闘」なのか︖戦闘とは、撃ち合いがあって初めてそう呼べる⾏為だ。「虐殺」を再開したのである。正確に報じてほしい。逃げ場のない住⺠を兵糧攻めにした上で狙い撃つ、世界で最も卑怯(ひきょう)かつ残虐な軍隊の⾏為には、正当性のかけらもないのだから。

◆避難呼び掛けた先で狙い撃ち

  イスラエル軍が今、執拗(しつよう)に壊しているのは、住⺠に避難を呼び掛けた先であるガザ地区南部だ 。住んでいた北部の家は廃墟にされ、戻る場所はない。その⼈々を狙い撃ちしているのだ。戦闘「前半戦」では、病院も、救急⾞も、そしてボランティアの医療従事者も、ジャーナリストも、むしろ意図的と思われるやり⽅で、有無を⾔わさず殺害した。多層アパートを爆撃し、⽼⼈から⼦どもまで、数家族を⼀家そろって殺害した。

 目的はハマスを殲滅(せんめつ)することなどと喧伝(けんでん)されているが、そうではない。「それは実現可能な目標ではなく単なるスローガンだ」とイスラエルの識者が指摘している。隠された真の目的は、ガザを破壊し尽くし、200万⼈以上の住⺠を住めなくして、追い払うことである。⽶連邦議会では、近隣諸国がその⼈⼝規模に応じた難⺠を受け⼊れるべきとして、具体的な計画すら出回っているという。

◆「東京で何⼈死んだか、気にしたか︖」

  あまりにあからさまな虐殺⾏為を前に、イスラエルを孤軍⽀援する⽶政権は針のむしろに座らされている。国内でも、ユダヤ系市⺠までが反対の声を上げる中、海外に駐在している⼤使も、⽶国の信頼が失墜する恐れがあるとする意⾒を送ってきているという。そのためかオースティン国防⻑官は、イスラエルの攻撃は「 戦術的な勝利を戦略的な敗北に変えてしまう」と踏み込んだ発⾔をし、国務省は「イスラエル軍は意図的に⺠間⼈を狙っているわけではない」とイスラエルに代わって⾔い訳する始末である。

 そのような中、⾶び出したのがグラム⽶上院議員の「暴⾔」だ。CNNテレビのインタビューに対し、グラム⽒は「東京やベルリンを壊滅させた時、何⼈死んだかなんて気にしたか︖」と述べて、オースティン国防⻑官は「ナイーブすぎる」と批判したのである。この暴⾔の背後に横たわる闇は深い。「戦争はどんな汚い⼿を使おうと、勝てばよいのだ」という論理が、イスラエルのシオニスト政権を⽀配していることは想像に難くない。

◆集団虐殺にくみしてはならない

 しかし、それを⽶国の指導層も幅広く肯定しているようだ。第2次世界⼤戦で⽇本は広島・⻑崎をはじめ、ほとんどの都市を無差別爆撃され、⼀晩でガザ地区の現在の死者約1万6000⼈の何倍、何⼗倍もの市⺠が亡くなった。

 しかし、都市攻撃は⼈道に対する罪であるとの敗戦国⽇本の主張は受け⼊れられなかった。その既成事実が今も⼈類を苦しめているのである。もし、この論理に流されて、⽶・イスラエルの蛮⾏を追認するのであれば、それは先の戦争で亡くなった⽗祖の霊を冒瀆(ぼうとく)するだけでなく、近未来の⼤惨劇さえ、予感させると⾔わざるを得ない。そんな恐ろしい時代の再来を招かないためにも、私たちは決して集団虐殺にくみしてはならない。

(時事通信社「コメントライナー」の⼀部を加筆修正しました)

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