どうすれば集団虐殺を止められるのか

◆京都のホテルの「勇気ある行動」

 京都・東山にある小さなホテルが、イスラエル国籍のユダヤ人の宿泊を拒否し、駐日イスラエル大使の猛抗議を受けた京都市は旅館業法に基づきホテルを行政指導する、という出来事があった。ガザ地区では、開戦から8カ月が過ぎた今もイスラエル軍による住民の集団虐殺がやまず、飢餓と衛生状態の悪化で老人、子ども、傷病者が死んでいく地獄絵が展開しているが、この「事件」の顛末(てんまつからは、パレスチナ問題解決のための有効な手段を持たない国際社会の現状が凝縮されたような、後味の悪さを感じる。

 特段の理由がない限り、何人も宿泊を拒否してはならないとの法律に基づき、また、ヘイト、反ユダヤ主義につながりかねないとの懸念から、市が行政指導に踏み切ったことは適切である。しかしその一方で、国際観光都市・京都からの平和のメッセージとして、ホテルの「勇気ある行動」に拍手を送る人も少なからずいるだろう。
「紛争終結後に戦争犯罪人として訴追されかねない人物に宿を提供することは、共犯とみなされる危険を排除できない」とのホテル支配人の宿泊客へのメールの文言には誇張があり、駐日大使にかみつかれたら、対応せざるを得なかったということは想像に難くない。

 しかし、このホテルの「イニシアチブ」は、イスラエルの集団虐殺を止めようと、①イスラエル関連企業の商品・サービスをボイコットする人々②大学キャンパスや大使館前、駅前などで、「パレスチナに自由を」と叫んで、行き過ぎると連行される人々の行動と、軌を一にしていると言ってよい。

◆仮面を かぶった仲介努力

 保護法益が比較的小さく、罰則も軽微な法律であっても、それを守るべきは当然である。ただ、その一方で、人道に反する世紀の重大犯罪が8カ月も続けられ、日々100人単位で殺りくが行われているのに、われわれは直接の当事者でないからといって、知らん顔をしていてよいのか? という問いが突き付けられている。

 イスラエル軍によるガザ侵攻が始まって以来、小稿ではジェノサイド(集団虐殺)の存在を訴え続けてきたが、そのことは今では、米国・イスラエルと日本を含む一部西側諸国を除く世界のほとんどと、国際司法裁判所(ICJ)、国際刑事裁判所(ICC)検事総長、国連特別報告者などの決定、決議、報告によって確認されている。にもかかわらず、この非道の軍事作戦に兵器を提供し続け、密かに作戦の支援さえしている米国の、仮面をかぶった仲介努力は全く功を奏していない。

◆人道に沿った積極的な外交を

 シオニスト・極右政治勢力による、罪のない他民族の犠牲の上に、自らの生存を確保しようとする行為を糾弾することは反ユダヤ主義ではない。そのことを確認した上で、イスラエルが行っている戦争犯罪は国際社会の努力で止めなければならない、と思う。それは、反ユダヤ主義の再燃を防ぐおそらく唯一の道であり、喫緊の課題である。1日遅れるごとにやせ細った子どもが死んでいく。

 開戦以来、日本政府はイスラエルに対する直接の警告・制裁を行っておらず、スペイン、アイルランド、ノルウェーといった欧州諸国によるパレスチナの国家承認といった外交イニシアチブにも同調していない。その間に一部米国議員の広島・長崎への原爆投下と、ガザ攻撃を同一視するような発言を許している。政府には、国際関係における法の支配が日本の国益に直結していることを再認識し、人道に沿った積極的な外交を展開してもらいたい。

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