沈まぬ太陽

新年おめでとうございます。
先月、alyaban.net (http://www.alyaban.net) の本格運用を始めたばかりで、コンテンツ管理に万全を期す必要があったことから、年末は帰省せず東京に留まりました。しかし忙しいと逆に時間は有効に使えるようで、久しぶりに映画を見よう、ということになり、話題作「沈まぬ太陽」を見る機会がありました。
映画は、もちろんフィクションですが、そこに描かれている国民航空(つまりJAL)と日本の政治、社会が抱えていた問題の根深さ、理不尽さを改めて思い起し、不愉快な思いになりました。まわりにお客さんがいたのではばかられましたが、そうでなければ、「バカヤロー」とスクリーンに向かって叫びたい気持ちでした。
映画、小説はフィクションだから大袈裟、と考えがちですが、「事実は小説よりも奇なり」の言葉どおり、この映画が描くことができたのは、氷山の一角に過ぎません。この映画が暴こうとした官僚支配、政治の世界の醜さは、それが人間の性だと言い捨て置くにはあまりにも大きく、罪深いものです。
その上、最も腹が立ち、かつ、問題だと思ったことは、途上国(映画では、カラチ、テヘラン、ナイロビ支店)への発令が主人公の組合活動に対する報復人事として、当然のお約束として描かれていたこと、それぞれの国には素晴らしい側面もあるのに、その国の持つネガティブな側面だけが強調された映像だった(そのうちのカラチにはロケすら行っていない)ことです。米国へ発令された同僚は「栄転」、途上国に「飛ばされた」主人公は「左遷」という単純な図式をストーリーにするには仕方がなかったのかもしれませんが、これは当時の日本企業や日本社会が当然のこととして前提としていた脱亜入欧思想、アメリカ万能主義の存在を改めて突き付けられた思いで嫌な気持ちになりました。
現代の日本は美容クリニックの院長がドバイの砂漠のイメージをテレビCMに使うなど、時代は変化しています。それでも、このような了見の狭さが今日の日本の国際的地位の低下を招いたのです。映画をみて、これをきつく戒めなければ我が国の明日はない、と思いました。

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