職業柄、いつもエネルギーが足りなくなったときのことを想像していました。むろん、津波襲来を予期していたわけではありません。戦争などによって、中東依存度の大きいわが国化石燃料の供給途絶の事態を想定してのことです。
エネルギーに関する知見が一般化していないのは、何もわが国だけに限らず、世界的な傾向と思われます。しかし、かつてエネルギーで躓き、今もエネルギー確保の如何が国運を制する状態にあり、かつ国民の教育水準が世界最高レベルに達しているというのに、どうしてわが国にはエネルギー学部のひとつもなく、小学校でエネルギーについて学ぶ時間もないのでしょうか。渋谷にある東電の「電力館」が閉館します。今にして思えば、電力会社によるエネルギー広報活動というのは、国民を無知でいさせ続けるためのカムフラージュだったのかもしれません。国は、「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」でエネルギー政策を推進していたのでしょうか…。
ともあれ、人々は停電など考えたこともなく、ガソリンスタンドが空になって車列ができるなんてこともあり得ないという前提で私たちは毎日暮らしていました。電力を民営化したのは正しかったと思いますが、民間会社といいながら、台風で電線が切れてもすぐ復旧して下さる献身的な電力マンの働きで私たちの生活は守られていました。どんな猛暑が来ても突然の停電が起きないよう、十分な計画がなされ、決められた仕事が着実にこなされていたのです。その役割の大きさは、とても普通の民間会社の比ではありませんでした。事故が起きて、東電の社長の報酬の多寡が話題になりました。このように重大な責任を負った組織のトップであることを考えれば、何と安い水準でしたでしょうか。しかし、事故に際しての清水社長の対応を見て、何と無駄な人間を飼っていたのかと、呆れた口が塞がらない思いに駆られた人は多かったでしょう。
いずれにしても、電力の安定供給システムは、すべて国民の納める「税金」たる電気代によって支えられています。電気はみんなのものなのです。従って、原発事故で被害を蒙った皆様への補償も電力会社の責任と言っていますが、実は私たち国民ひとりひとりの責任なのです。それが証拠に、電気代は17%値上げされる予定ということです。おそらく、国民の負担はその程度では収まらないでしょう。東電なんか潰してしまえ、というわけには行きません。これからも、安定的に電気を起し続けていただかなくては、私たちの生活は1日もままならないのです。今後は、東電の社長は「選挙(公選)」で選ばなければならなくなるかもしれませんね。
政府幹部の答弁や、メディアにおける議論を聞いていると、この根本に言及せず、国の責任、とか、電力事業者の責任、といった意味のない言葉で国民を欺もうしている、と強く感じます。「エネルギーはみんなのもの」。損害はみんなで弁償していかなければならないし、これからコスト増があればみんなで負担していかなければだれも肩代わりしてはくれないことを肝に銘じなければなりません。
だから、「コスト増やむなし」などといういい加減な政策を打ち出した内閣と、それを問題視しないメディアに腹が立つのです。酪農を廃業した方の自殺という悲しいニュースがありました。これ以上の自殺者を出さないために、国民全体が被災者を支え、弁償していかなくてはなりません。その額を少しでも増やすためにも、発電コストをどうしたら下げられるか、特に、短・中期的に下げられるかと、叡智を結集して事に当たらなければならないのです。
何回も言いますが、今は原発を最優先にフル稼働すべき時です。そして安全性の確保について、日に夜をついで点検、拡充する時です。一刻も早くこの国から原発をなくすために。
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