Facebookの登場は、中東を変えているだけでなく当然私たちの生活も仕事の仕方も変えています。今朝は幸いにもエジプトの若い人とチャットで意見交換することができました。
現場にまだ足を運んだことのない私の率直な疑問は、実際にどの程度ムバラク大統領が国民に嫌われているのか、ということです。それは実際、どの程度エジプト国民自身が変革を求めているのか、あるいはもっと重要なことは「変革する気があるのか」ということでもあるでしょう。そして、ムバラク氏の問題に即して言えば、彼は「死刑にしなければならないほど悪い人なのか、それともエジプトに平和と繁栄をもたらした有能な政治家だったのか」という質問に、人々が何と答えるか、ということです。
エジプトの若い人に聞いて、ひとつ「なるほどそうか」と思ったことは、現在エジプトの報道の矛先は旧政権がいかに悪いことをしたか、という「悪人糾弾」路線一色になっているということ。だから、とても冷静になって、イスラエルとの和平路線がどのように国民生活に好影響を与えたか、などという議論はできない状況にある、ということです。
例えば、「イスラエルとの和平協調路線を守ったことで国民の安全と経済的繁栄が保たれた」とは想いませんか?と聞いても、「ムバラクは私腹を肥すためにその政策を推進しただけ」といった答えが返ってくるでしょう。安全保障や、国民経済政策の選択という視点が欠け、「すべては腐敗のためだった」と感じない者は非国民、といわんばかりです。
さてその腐敗、汚職ですが、それが凄まじいものであったであろうことは容易に推測できます。ムバラクの30年間というもの、世界中から他国に比類ない世界最高額の援助を引き込み、何度も借金棒引きをしました。それでも経済は悪化の一途、大した社会資本も蓄積されているとはとても言えない状況です。カネはどこへ消えたのでしょうか。
この疑問に対して、今次裁判が明らかにしたのは実に小さな贈収賄事件だけでした。ムバラク父子が、シャルムエルシェイクの観光特別区選定にあたって地元地方行政に口利きをしたお礼に(記憶が正しければ)約4千万ポンド弱、日本円で10億円に満たない程度の家屋敷をもらった、というものでした。日本の政治で10億円の賄賂が発覚すれば、それは相当に大きなものですが、ムバラクさんが抜いた額というのは一説に700億ドル、日本円にして5.6兆円をはるかに上回る額と言われています。真実は、10億円と5.6兆円の間のどこかにあるのでしょうが、裁判でこの程度のことしか立証できない、というのはエジプト現体制の限界を示しています。仮にムバラクを第一のデモ参加者殺人の罪で死刑にすることができたとしても、巨悪の実態(ムバラクだけでなく、軍を中心とする現体制内で猫をかぶっている人やその他のエジプト人、非エジプト人)は闇に葬られることが確実です。
革命を起した国民の不満を、ムバラク裁判でどの程度「ガス抜き」できるか…、というところに、この裁判が実行された真の理由があるのだと気がつきました。
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