「福島第一原発できょうも事故処理・対策のために、猛暑と高線量の中、暑い防護服に身を包み、献身的な作業をして下さっている東京電力と関連企業の皆様!皆様こそ、真の英雄です。最大の敬意を表すると共に作業の安全とご健康を心からお祈り申し上げます。皆様のご貢献なくして、日本の明日はありませんし、私たちの今がありません。ありがとうございます。常に感謝の念を忘れず、私たちもまた、事故からの復旧復興に向け、全力を挙げて一致協力致します!!」
<原発事故の責任と処罰そして賠償>
3.11、震災が発生し、太平洋岸の原発に被害が及んでいる、と聞いたとき、なぜそんな危険なところに原発があるのかと首をかしげたのは小生だけではないと思う。夏休みの今、太平洋岸の海水浴場へ行く人は誰でも気づくだろう。「津波がきます」の看板、避難手順を示す看板は日本の太平洋岸には必ずある。それは、北海道から沖縄まで、我が国は津波の襲来から逃げ出すことはできない宿命を背負っているからである。そんなことは小学生でも知っているのに、一度建設したら50年は動かすことのできない原発をどうして波打ち際に建てたのか?不思議でならなかった。日本の原発はみな海岸縁にある、ということは漠然と認識していた。しかし、「地震と津波対策は万全」と聞いていたので、まさか津波をかぶるようなところに原発があるとは考えてもみなかった。
事故後の報道で明らかになってきたことは、福島第一の場合、建設当初は津波そのものを想定していなかった、ということらしい。それは何でも…ということで完成後に津波高想定を1.5m嵩上げしたが、立地場所の標高が10mあるということで問題なし、とした。しかし実際には15mの波が来て、GEの設計をそのまま受け入れたため地下にあった電源室は水浸しになったということらしい。これが天災?
(どうして、もう少しましな建て方が出来なかったのか ©google航空写真)
初めから、危険極まりない発電所を作り、その後は責任逃れのため安全、安全と言いくるめてきただけではなかったのだろうか?その時の責任者が小学生以下の知能しか持ち合わせていなかったなどということはないのであって、全員が、故意にウソをついてきたのは明らかだ。その後建設された福島第二とか女川はどちらも高さがあったので水没を免れている。これは単に偶然なのだろうか、それとも、福島第一についてはウソをついた人々にも良心があって、新しい方については津波を考慮したということなのだろうか。
検察はなぜ動かないのか?そんな古い話は全部時効なのだろうか。適切に処罰する法律はなくても、適用可能な刑事罰はなお存在するのではないか?メディアは、なぜ責任追求ののろしを挙げないのか???国民は、なぜこんなおかしな話はない、と怒らないのか?そして国会はなぜ調査権を発動しないのか。話題にすらならないのはどうしたことか。
逆に言えば、官邸主導で設置された事故調査検証委員会なる機関が極めてあいまいな法的性格しか有さず、「年内に中間報告、事故処理が一段落したころに100年の評価に耐える報告を出します」といった極めて悠長な仕事の仕方で動き出していることをなぜ問題視しないのだろうか。そんな中で、賠償問題とその支払いは待ったなしである。
「責任の所在はわかりませんが、東電が汚したことに間違いはないので賠償します」「しかし東電を潰すわけにはいかないので、国民みんなで賠償します」そういうことなのだろうか。この国はどこかおかしい。
おかしい、と言えば、冒頭に掲げた福島第一の技術者・作業員の皆さんへのメッセージは、本来、毎朝の新聞の片隅にでも出てよいし、テレビ番組がこの文言で始まり、終わってもいい筈なのに、皆で知らん顔をしている。これはあまりにおかしいのではないか、少なくとも小社のHPには冒頭に掲げようではないか、といった議論を社内でした。この関連で言って最も奇妙な我が国の世論の特色は、「東電が悪い」「経産が悪い」「保安院が悪い」という組織名での議論となり、あたかもその組織に属する者がみんな悪いように扱うことである。
東電で、何の責任もないのに命を賭して作業をしてくださっている方、家族サービスも顧みず、給与ダウンも仕方ないと受け入れて深夜早朝残業して下さっている社員の方は全く悪くないどころか、国民は決して足を向けて眠ってはいけない人たちである。ひとつの組織に、犯罪者と救世主が同居しているのだ。それは人がどうこう、というより、「犯罪行為」「職務上の義務的行為」「人道上の崇高な献身」といった行為が入り交じっているのであるから、人を憎むのではなく、犯罪行為、不道徳な行為、怠惰な行為を憎み、取り締まっていくべきである。
長文となってしまったが、本稿(4)の結論である。われわれ日本国民は、明白な人災を引き起こした犯罪者の責任追求、断罪を要求し、一方で事故の終息、除染・復旧のために団結協働し、被害者救済とエネルギー安定供給の2つのミッションを同時に背負った東電の後ろ盾となって困難を克服して行かなくてはならない。エネルギーはみんなのもの。「東電が悪いんだから、国が悪いんだから、俺は払わない…」そんなバカげた議論が一部メディアや前出「原理主義」の人々の間で大手を振って闊歩している。国のリーダーは、良識あるメディアは、そういう人を諭して行かなければならない。
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