エネルギーはみんなのもの(とりあえずの結び)

「義憤に駆られて」という言葉が大流行の2011年かも知れません。
「無策」ならまだしも、確実に国を滅ぼす方向に向いた政策をゴリ押しする菅・民主党政権の動きに驚愕し、恐怖を感じ、はからずも思うところを書き始めたら連載になってしまいました。しかし百家争鳴、いろいろな方から、いろいろな義憤が噴出していますので、偶々このブログを読んで下さった方は、ひとつの意見として、参考にしていただければ幸いです。
「外交力のなさ」と「エネルギー戦略のなさ」…。この2つは、我が国に特徴的かつ致命的な欠点であり、そのためわが国は戦争に追いやられ、破産し、70有余年、その根本的原因だった問題は棚上げしてひたすら生活に追われてきました。これが、1980年代終わり、「名目世界第二位の経済大国」と言われた瞬間に転落を始めた日本の紛れもない姿だと思います。この思いは、私が「湾岸戦争の敗北の責任を取って外務省を辞職」の決意をした20年前から、強くなることはあっても、弱まるところを知りません。
今般の震災と、その被害を何百倍にも増幅することになった民主党政治の大失態で、日本は新たな終戦を迎えたのでしょうか。それとも、関東大震災から第二次世界大戦へと向かった暗い時代の二の舞を演じるのでしょうか。今度こそ、カミカゼをアテにするのではなく、着実に、忍耐強く立ち向かっていかなければなりません。そのためには、外交力、戦略的思考力、情報処理能力、政策構想力といった資質を有するリーダー達にこの国のかじ取りを任せなければなりません。もちろん、そのようなリーダーを戴くには、国民ひとりひとりが意識を高め、とりわけマスメディアにおいては国を憂う「健全なナショナリズム」に根差した報道で世論を牽引していかなければならないでしょう。
我が国のエネルギー危機を救って行くには、まず炭化水素資源へ依存している現実から目をそらしてはなりません。然るに、8月26日は近年稀にみる暗黒の日でした。総理は「辞世会見」を行いましたが、その中で電力供給を滅茶苦茶にして、どれだけ多くの人に不必要な苦しみを増やしてしまったかという責任を認識しないどころか、「脱原発の原理主義を実践したぞ」といわんばかりの開き直り。もっとひどいのは、この狂人をやめさせることと引き換えに、という信じられない論理で「全量買取法案」が何と参院全会一致(ひとりの反対も棄権もなし!!!)で可決成立したことでした。「良識の府」は全く機能していません。賛成票を投じた全参議院議員、ひとりひとりの不見識(*)に対し、私は「満身の怒りを表明致します。」(!!!)
炭化水素資源(原油、ガス)は、なぜか地球上に偏在しています。一方で、天は日本人に優秀な頭脳と勤勉な性格を与え、この資源を100%輸入しても余りあるだけの外貨を獲得できる技術力、生産力をつけさせました。砂漠の国で、なつめやしの実とヤギの乳だけで摂氏50度の暑さを凌いで暮らしていた人々は、石油を売り、日本製のクーラーとトヨタの高級車を買って快適な生活ができるようになりました。しかし、増え続ける若者に与える職がなく、教育が十分に行えず、近隣の兄弟国で相次ぐ「革命」が飛び火する恐怖におののいています。その中では最も安定している(?)と思われているサウジ、UAEの2か国に日本はその消費量の半分以上の原油を頼っています。この2国の輸出停止が起きたら、日本の電力はどうなるでしょうか。
産油国と日本は、このように戦略上非常に重要なパートナーであるにもかかわらず、我が国の側においては、政府、メディア、国民のあらゆるレベルにおいて意識が低い、極めて低い、というのが現状です。「馬の耳に念仏」となりますので、これ以上の議論を終わります。
(*)このことを問題とせず、民主党のどうでもよい政争の報道に明け暮れているメディアの不見識の害たるや言うに及ばず。

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