「革命後、最初の大統領選挙。自分はムルシーに投票しなかったが、決戦投票では旧体制の象徴シャフィーク候補を嫌い、同胞団による改革に賭け、ムルシーに一票を投じた。しかしその期待は裏切られた…」「2回目の大統領選挙。自分はシーシに投票しなかったが、97%の国民の支持を得て当選した同大統領には従う。それが民主主義だ」
弊社が創立20周年を記念してお招きしたエジプト政府系新聞「アルアハラーム」の元副編集長、カマール・ガーバッラ氏の言葉である。同氏は、今年5月末に行われた大統領選挙では、当選確実と言われた軍出身のシーシ氏(元国防相)相手に唯一立候補したハムディーン・サッバーヒ候補(左翼民主勢力)を支持していた。いわば、左翼ナセリストに属する人と言えるかもしれない。しかし、それ以上に、自由でバランスのとれた考え方を大事にする言論人である。
2011年1月の「革命」の時、腐敗しきったムバラク政権を打倒するために立ち上がった民衆の中で「自分も旗を振っていた」と語るガーバッラ氏は、同胞団が宗教国家建設の野望をむき出しにせず、民衆の求める改革(民主的な市民社会の実現)を進めるのであれば彼らに政治を任せようと思ったそうだ。ところが、同胞団の送り込んできた新編集長に副編集長の座を追われる。「何とか、この部屋だけは追い出されずに済んだ」が、社内は同胞団の息のかかった者、同胞団支持に宗旨替えした者で固められた。
-自分も代償を払わなければならなかった
(アルアハラーム紙本社の自室にて。2013年1月)
「ムルシー政権約100日目に自分は東京で講演し、この政権には期待できないと言った。奇しくもシーシ政権約100日目の今日再び講演し、この政権はよくやっている、期待が持てる、と言える」
9月24~25日、東京で行われた、弊社フォーラム「グローバルミドルイースト」を含む3つの講演の機会におけるガーバッラ氏の語録を記録しておこう。アラブの春で大きな犠牲を払いながら、結局、革命前より現象面で民主化が後退したと言われるエジプトの現状について、ひとりの知識人がどう考えているかは日本のみならず、世界に向けて発信すべき情報であろう。
―かつてエジプト国民は、外国のことはあれこれ議論するが、自分たちのことになると黙り込んで政府が何かをしてくれることを待っていた。そして不満があるとすぐ通りに出て騒いだ。百万人以上が参加するデモが繰り返された。しかし今は違う。誰もデモに向かわない。その代わり、人々は様々な質問を抱くようになった。つまり、皆さんも色々質問がおありのようだが、それと似たような、そしてその多くは切実な「百万の質問」がエジプトにはある。そこで、皆さんにお配りしたペーパーのタイトルは「百万の質問の国・エジプト」とした。彼ら国民は、デモをする代わりに、しっかりと監視している。もし、再び、政治が独裁と腐敗に向かうのであれば、黙ってはいない。
―「憲法」という重要なレールが敷かれた。そしてその上を列車が走り出した。目的地は「民主的な市民社会国家」だ。その方向は岩手の方だとしよう。ところが、その列車を乗っ取って、乗客を人質にとり、名古屋の方向へ走らせようとするグループ(イスラム過激主義者)がいる。「宗教国家」という、国民が拒否した終着駅の方角だ。
―軍出身のシーシではなく、文民がその列車の運転をすべきだ、それが一等車だと思ったので、サッバーヒ候補を支持した。しかし、国民の大多数は2等車を選んだ。ならば、仕方がない。2等車であっても、岩手の方向へ行く列車なら乗ろう、そして、どんな旅になるか、しっかり監視しよう、というのが現状だ。
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