中東の強権政治とどう付き合うか

◆スーダンの弾圧で100人死亡

民主的な改革を求める人々が座り込みを続けているスーダンの首都ハルツームで、治安部隊が強制排除に乗り出し、およそ100人が死亡、数百人が負傷し た。第二の「アラブの春」とも呼ばれる「民衆蜂起」の様相であり、首都は混乱が続いている。事実上の支配者である軍によるこの強硬措置は、エジプトのシシ現大統領が 2013年8月、選挙で選ばれた 前大統領をクーデターで倒 したことに抗議する民衆数百人を「虐殺」した事件に酷似している。 報道によれば、スーダン軍事評議会の議 長らは、この事件を起こす直前にエジプト、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)を訪問して各国首脳と協議しており、現場では、近く介入があると予測されていたという。

◆「恐怖」でしか治められない?

先進主要国、とりわけ我が国の経済界はエジプト、サウジ 、UAE に熱い視線を送るが、 人権をめぐるこれら国々の行動様式は先進国の 眉をひそめ させ る ものだ。ムハンマド・サウジ 皇太子の記者暗殺事件への関与疑惑は晴れていないし、UAEはイエメンの人道危機について、サウジととも に国際的非難を受けている。日本ではほとんど報道されないが、それぞれの国において裁判手続きを経ない反体制派の拘束、処刑が行われている。
これら3国は、「カタールがイスラム過激主義者を支援している」として、同国と断交(経済封鎖)していることにもみられるように、「対テロのためには強権支配はやむを得ない」との論理を振りかざす。
一方で、そのカタールに支援の手を差し伸べるトルコは、公然とイスラム過激主義を擁護する政権だが、こちらも大統領の権限が強化され、国民は抑圧されている。「恐怖」によってしか治めることのできないのが中東、と匙を投げるほかはないのであろうか。いまや中東は 、「自由はないが政情は比較的安定している」国々と、無政府状態に陥り戦闘、殺戮、飢餓が常態化している地域、に二分した感がある。

◆日本ももの言う絶好の機会

このような中東 の出現を許した最大の責任は、ブッシュ政権に遡る 歴代 米政権の迷走外交、とりわけ中東を武器の売りさばき先と しか認識しない トランプ大統領の 異 常な政策にあると思われる。 しかし、そんな米国であっても議会ではサウジ懲罰が議論されるなど、一定の歯止めがある。また、人権擁護を重要な外交的価値と認める欧州諸国は、それぞれの事案に より真剣に取り組んでいる。ドイツなどでは、武器輸出を禁止したり、特定の政府要人の入国を制限するなどの措置が取られた。
しかし翻って我が国を見れば、メディア が取り上げるほど大きな問題が起きた時に口先だけの非難をすることがあっても、官民ともに business as usual(変わらぬお付き合い)を続けているのが現状だ。「大人の対応」と評価すべきなのか。このよう な日本人の性向を中東の当該国はありがたく 思っているようだが、半面、日本の国際的地位の低下と無関係ではないように私は思う。
今夏はG20首脳会議や TICAD7 (第7回アフリカ開発会議)で、これら諸国の首脳が来日する。長期的に健全な経済関係を築くためには、健全な国家運営が大前提である。日本が、国際社会の懸念を代表して、しっかりとものを言う、絶好の機会が訪れる。

ベールを被った女性宰相

NZ首相にイスラム世界から称賛の声

モスクで礼拝中の人々を無差別に大量虐殺するという衝撃的な事件の対応に当たったニュージーランドのアーダーン首相のイスラム圏における評価がうなぎ上りだ。イスラムのしきたりを受容する形でベールを被った女性宰相の姿はドバイの超高層ビルにも投影され、「ノーベル平和賞を!」との呼び声まであるという。首相は率先して頭髪を覆い、国会にイマームを招いて、世界的にも例のない議場での「コーラン朗誦」をさせ、テレビ・ラジオ局には礼拝の呼びかけである「アザーン」の放送を要請した。この、異例づくめの「パフォーマンス」は、「謝罪するなら威儀を正してせよ」ということだろう。「犯行は明白なテロ」、「(白人至上主義は)ニュージーランドにも、世界のどこにも居場所はない」、という首相の明解なメッセージが、曲解されることなくイスラム世界に届けられたのは、この「歩み寄り」があればこそ、であった。それは、冷徹に計算されたパフォーマンスであったのか、それとも天才的政治家と言われるアーダーン首相の本能がそうさせたのか。いずれにせよ、傷ついた世界中のイスラム教徒の心を和らげ、双方の過激主義者に教訓を与え、何より、犠牲者と遺族の心に、多少なりとも癒しを届けた。

◆価値観めぐる移民との軋轢が深刻化

それは、危機管理のお手本と言うべきで、憎悪とテロの連鎖を防いだのかもしれない。そんな評価が言われる一方で、一部の専門家には評判が悪い。イスラム教徒でない首相のベール姿は、偽善に過ぎない、というのだ。批判の中には、「ベールを着用しない自由」を求めているイスラム世界の進歩的な女性を裏切った、というものまである。つまり、西側の過激主義を否定しようとするあまりに、イスラム世界の過激主義におもねた、という非難だ。

この議論の根底には、「郷に入って郷に従わない」イスラム教徒、の問題がある。このような、イスラム教徒を中心とする移民と西側の価値観の軋轢は今に始まった話ではない。筆者はイスラム文化論を講じていた十数年前、「関東のある都市で、ベールを着用する移民が急増し地価が急落した。そこで住民がベールの着用を禁止する条例を求める運動を起こすこととなったと仮定して、その正当性を主張する論理を展開せよ」という試験問題を出題したことがある。わが国における移民増加は緩やかで、筆者の予想よりは遅れているようだが、欧米で深刻になっている価値観、習慣の摩擦・対立は、やがてわが国でも顕在化するだろう。先月、佐野市で発生したインドネシア人への加害事件は気掛かりである。

日本でイスラム教徒が「郷に従わない」と

イスラム教徒は「郷に従わない」と述べたが、少なくとも日本のイスラム・コミュニティーについて言えば、それは正しくない。関東に点在するモスクから、もし「アザーン」が拡声器を通じて1日5回、大音響で流されるとしたら、どうなるか。まさに上記のような条例請願が出されるか、その前に忌むべき事件が起こるかも知れない。それを防ぐために、イスラム教徒側で、アザーンの声はモスクの外に漏れないよう、自主規制しているのである。日本に白人至上主義はないが、「排斥主義」は存在する。アーダーン首相のような博愛主義的対応は、日本人の多くの共感を得るが、もし、イスラム教徒が日本の地域社会に配慮しない生活を始めたときには、わが国の極右もイスラム排斥を旗印に加えることだろう。クライストチャーチ事件への日本社会の反応の鈍さには驚いたが、これは時間の問題だ。

イランがシリアに投げかける長い影

◆イスラエルと直接対決の構図

シリア内戦は落ち着きを見せ、これからは復興だと考える気の早い人もいるかもしれない。トランプ大統領は米軍を撤退させると言い、一部の湾岸諸国は既に大使館再開の意向を公にしている。しかしそんな中、イスラエル軍機がダマスカス郊外の「イラン革命防衛隊の拠点」を爆撃した。イラン側もゴラン高原に中距離ミサイルを撃ち込んだという。アラブの識者は「イランがイスラエルと直接対決する構図が出来上がったのは、後者の建国以来初めて。重大な戦略的変化だ。これだけで終わらない」と警鐘を鳴らす。イスラエルは、国境から80キロ以内にはイランの兵力を立ち入らせない、との暗黙の約束をロシアから得ていた。しかし、現実には「彼らはゴラン高原から数キロ地点の基地に駐留している」(イスラエル軍事筋)のであるから、イスラエルが安全保障上の脅威を感じるのは当然だ。イラン強硬派の中には、「今こそイスラエルを海に追い落とせ」と檄を飛ばす者まで現れた。

◆中東の至る所に魔の手が・・・

このように、「気がつけば、至る所にイラン神権政治の魔の手が伸びていた…」というのが、イラン・イスラム革命から40年目を迎える現在の中東の偽らざる姿である。この事態を恐れたが故に、米国はイラクのフセイン政権をけしかけてイラン・イラク戦争を起こしたし、湾岸産油国は団結して湾岸協力会議(GCC)を結成したのだった。ところが何ということか。米国は自らの軍隊を送ってフセイン政権の方を倒し、イラクをイランの前庭に提供してしまった。そのことが、シリアの戦況に直結した。GCCはと言えば、内紛を起こして空中分解だ。イエメンでは、世界で最も豊かで、最新鋭の軍備を誇るサウジアラビアとUAEの連合軍が、イランの支援するフーシ派反乱勢力を全く制圧できない。そればかりか、イラン製の弾道ミサイルが正確に首都リヤドやアブダビめがけて着弾するというおまけまで!
このような事態を前に、米国は2月13、14日という日程と会場を定めて、「反イラン・サミット」の異名を持つ「ワルシャワ中東会議」を計画、主要国を招請する動きに出た。しかし、EUとそのメンバー国の反応は鈍い。相次いで、欠席の意向が表明された。このように欧州がイラン制裁に後ろ向きである理由は単純でないが、国際協定を「手のひら返し」で反故にする野蛮さを欧州は持ち合わせていないし、シオニズムを無条件に肯定する米国のイスラエル支援外交には与しない。

◆反イランで利害一致のアラブ諸国

それでも、このような中東のパワーバランスは、単に平和と安定をもたらさないだけでなく、大きな紛争の種を蒔き続けている。トランプ大統領が「シリア撤退」をツイートしたとき、「米国はイラン攻撃を計画していて、その時の報復攻撃の対象とならないよう、兵士を帰国させたいのでは?」との観測が直ちにネット上を賑わせた。それほどイランの勢力伸長は中東各政権の疑心暗鬼を呼んでいるのである。
その一方で、サウジアラビアなどイスラエルとの「和解国家群」のイスラエルとの共働、軍事同盟関係は漸進するだろう。シリアにおけるイランの革命防衛隊、及びイランの息のかかった民兵勢力を叩き、放逐したいという動機で、イスラエルとこれらアラブ諸国は完全に利害が一致するからである。
事態は悪化の一途であり、楽観は許されない。欧州が協力しない場合も、米・イスラエルは単独行動に踏み切るだろうし、「和解国家群」は我先に米・イスラエルに同調する。

望まれる湾岸君主制国家の安定

◆独裁者を苛立たせるのは穏やかな諫言

今年初め、本欄でトルコのエルドアン大統領と、亡命サウジアラビア人記者ジャマル・カショギ氏の二人を相次いで紹介した際、私はこのような事件が起きるとは夢にも思わなかった。それは、惨殺されたカショギ氏も同じであっただろう。「穏健な改革を口にするだけの知識人がなぜ15人もの暗殺集団に殺されなければならなかったのか」―。そんなテレビ取材に、「本人も夢想だにしなかったから、迷わず総領事館に入ったのだろう」と私は答えた。それほどに、独裁政治は何をするかわからない恐しさがある。
「穏やかな諫言こそ、独裁者を苛立たせるのだ」と、あるアラブの政治学者は言う。イスラム過激主義が静かに広がるアラブ・イスラム世界において、その対極の過激主義(=独裁強権政治)を以って秩序を維持しようとする試みは、途方もない恐怖政治を招来している、との批判だ。

◆トルコとサウジは同列に論じられない

その一方で、「記者数千人を投獄している超一級の独裁者・エルドアン大統領がアラブの支配者に『法の支配』を説くというこの構図こそ、最高のお笑い」、という指摘もある。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、エルドアン大統領を約500年もの長きに渡って中東に君臨したオスマン・トルコの支配者スルタンになぞらえて、トルコとサウジの「歴史的な覇権争い」だと書き立てた。
しかし、20世紀初頭以来世俗主義政策を徹底し、西欧型の民主主義を経験してきたトルコが経験している一種の「独裁」と、議会も選挙もない絶対王制のサウジのそれを同列に論じることはできないだろう。また、トルコの政権をムスリム同胞団(=イスラム過激主義)政権と決めつけ、これと戦っているのがサウジ、エジプト、UAE(アラブ首長国連邦)などのイスラム穏健主義政権だ、といった狭量な見解を吹聴する「専門家」も見られるが、これも明らかな間違いだ。
エルドアン大統領率いる公正発展党(AKP)は、イスラム過激主義を利用して政権に就いたが、政権が拠って立つ基盤は西欧型民主主義。「法の支配」原則は揺らいでいない。一方、アラブ側に「法の支配」はない。イスラム過激主義を逆の意味で利用したエジプトのシシ政権は、クーデターで政権に就いた。その唯一の正統性は(選挙で政権に就いていた)ムスリム同胞団との戦い、にある。

◆漸進的民主化で「法の支配」確立を

近代の中東の歴史を紐解くと、王制が倒れ共和制に移行した国はすべて独裁国家となった。中東は、カダフィ(リビア)、フセイン(イラク)、アサド(シリア)といった血も凍る独裁者達が支配する国と、概ね善政が敷かれ、国民がストレスなく暮らせる君主制諸国に分かれていた。そこに「アラブの春」が起こり、独裁国家群は破綻国家化し、君主制国家に飛び火の恐れが出てきた。サウジアラビアはこの事件を契機に崩壊してしまうのか? これが、日本の企業経営者だけでなく、世界が共有する懸念であろう。
アラブ人に西欧型民主主義は向かない。それは、この世界に接したことのある人の一致する感慨であろうし、過去の共和制がすべて独裁に移行したことを見てもわかる。したがって、この地域と世界の安定を考える上で、サウジをはじめ湾岸君主制諸国の体制維持は何より重要だ。そしてそれを確保するためには、まさしく故カショギ氏が提唱していた「漸進的な民主化」「対話の政治」、すなわち「朕が国家」ではなく、「法の支配」が徹底される立憲君主制への改革が求められるのだ。

ホルムズ海峡波高し

◆イラン核合意後、何が起きたか

イラン神権政治は、神の名において国家テロを行ういわゆる「ならず者国家」だ―。米国を牽引役に、中東の主要国はこのようなイラン観を堅持している。しかし、ノーベル平和賞大統領のオバマ氏が外交政策上の奇妙な「遺産」に拘泥し始めて、雲行きがおかしくなった。そして2015年7月の「核合意」によって、イランは79年革命以来科せられてきた経済封鎖のくびきから放たれることとなったのだ。その結果何が起きたかを見れば、「核合意離脱」というトランプ大統領の決断を一概に国際法違反の暴挙と決めつけることはできないことが分るだろう。シリアとイエメンにおけるサウジアラビアとイランの代理戦争が激化、サウジ首都リヤドには弾道ミサイルが撃ち込まれるまでになった。イラクの政治は、今もテヘランの意向を伺わずには決められない。破綻国家レバノンには、ヒズボラというイラン主導の民兵武装組織が国家中の国家として君臨している。極めつけは、イスラエルも軍事作戦を開始していることで、シリア領内の目と鼻の先の攻撃目標はアラブ人テロリストではなく、イランの革命防衛隊員である。

◆死中に活を求める海峡封鎖

イランは、米国による経済制裁の再開は国際法違反と、国際司法裁判所に訴えた。多国間合意である核合意を順守しているのに一方的に合意を破棄して経済制裁を科すことはできない、と静かに訴えるロウハニ大統領の正論を聞いて、私は「ならず者国家」が「世界の保安官」の不正義を訴える、という逆転の構図に驚愕した。一方の「保安官」は実に野蛮なツイートを繰り返すだけだ。しかし、イラン側がホルムズ海峡封鎖をちらつかせるに至り、ようやく、これまでの構図が戻ったようだ、と妙に安心した。
 ホルムズ海峡封鎖とは、かつての日本軍国主義が口にしたような「死中に活を求める」作戦である。おおまかな計算で世界の原油輸送の約40%を一時的に止めることができるが、自らの海上輸送をも断絶してしまう、最後の作戦だ。したがって、イラン・イラク戦争以降、イランは何度も脅しに使ったが実行されたことはない。イランは実施する力を十分に持っているが、実施したとき、政権の命運は尽きるのである。しかし、イエメンのフーシ派をけしかけて、紅海の出入り口・マンデブ海峡でタンカー攻撃を敢行、ホルムズ海峡でも大演習を前倒し実施するなど、「今度は本気」と気勢を上げている。

◆追い詰められる神権政治

背景として言われるのは、イラン経済が想像以上に疲弊しており、これに伴って国内情勢が不穏になっていることだ。地球環境の変化で旱魃被害が広がり、一千万人規模の農民が困窮しているが、それは神権政治が核開発などに血道をあげ、国内インフラ整備をないがしろにした結果であるとの不満も高
まっているという。若年者失業率は公称でも 27%前後を推移し、多くの若者は戦争に駆り出されている。「米国は、イラン国内の舞台裏で工作している。なぜなら、イラン国民が政権放逐を望んでいるからだ。それは簡単でないが、市民の抗議行動は全国に広がっていくだろう」(キーン米退役大将)といった強硬発言も聞こえるところ、トランプ政権の攻撃姿勢は、「体制変更を目指していない」「いつでも話し合う用意がある」という公式発言とは裏腹に、あくまで、神権政治を追い詰めるまで続けられるだろう。トランプ大統領は中東版NATO軍の創設にも意欲を示している。イランが望まない「死中に活を求める作戦」に踏み切らざるを得ない局面も訪れるのではないか。

アラブはパレスチナ問題を抹殺できるか

◆「エルサレム陥落」

トランプ大統領の決定が実行され、米大使館はエルサレムに移転した。アラブの識者はこれを評して「エルサレム陥落」と呼ぶ。エルサレムが実質的に陥落したのは1967年、第三次中東戦争の時であるから、もう50年以上経っている。しかし戦争で負けても、アラブ側は占領の違法性を盾に、「陥落」を認めて来なかった。それは、日本を含む国際社会も同じである。崩れたユダヤの神殿の上にイスラム教徒が聖地と崇めるモスクが鎮座し、イエス・キリストの足跡と墓所が点在するという、世界に例を見ないこの聖都の現状変更は、民族間の憎悪と大戦争の引き金になるとの共通認識があるからだ。事実、占領後のイスラエル歴代政権でさえその危険性への恐れから、旧市街住民の慣行を尊重し、宗教の共存を容認していた。
しかし情勢は変化し、そのエルサレムを超大国・米国がイスラエルの首都と「公認」した。アラブ側は、もはや万事休した、と敗北宣言をしているのだ。もちろん、各国は怒りと非難の声明を出した。イスラム協力機構も「対抗策」を決定した。しかし、全ては「紙の上のインク」(空虚な文書を指すアラブの諺)である。大使館開館祝賀式に出席した国に対抗策が取られたなどとは寡聞にして知らない。

◆本音は対イスラエル正常化

パレスチナと、これを支持する勢力は、米・イスラエルのこの措置はパレスチナ問題を「抹殺」する企てだ、と非難している。しかし、インターネット上で注目されているのは、問題の「抹殺」を望んでいるのは米・イスラエル側ではなく、むしろアラブ側だ、との論調である。この問題が始まるずっと前から、サウジアラビアやアラブ首長国連邦といった一部の湾岸諸国は、1979年に白旗を上げたエジプトの後を継いでイスラエルと国交を正常化したいとタイミングを見計らっている、と噂されてきた。
もちろん、イスラエルとパレスチナが和平合意できるなら、その後に正常化するのが理想。だが、イスラエルが交渉のテーブルに着かず、一方的に入植地を拡大している中で、そして、交渉事項であるエルサレムの帰属の結論を先取りして首都宣言し、これを仲介者である米国が容認するという状況の中でイスラエルとの正常化が行われるとすれば、それは「パレスチナ切り捨て」、すなわち「抹殺」に他ならない。それを企図するこれら諸国の指導者が裏切者もいいところだ、と非難されるのも無理のないことだ。

◆同化政策とる余裕ない

パレスチナ問題発生の直接の原因は、シオニストと結託した当時の欧米諸国にも大いに責任のあるイスラエル建国そのものである。しかし、その一方でアラブ諸国は、この「大災厄」によって発生した大量のアラブ難民を受け入れたものの同化させず、「パレスチナ難民」と呼んで、一般市民と区別、差別した。もちろん、紛争当初は彼らをパレスチナ(=イスラエル)に帰還させることが目的であったのだから、すぐに同化政策をとる必要も、義務もなかったとは言える。しかし、その後戦争に負け、政治・外交的にも負け続ける中で、(唯一ヨルダンがそうしてきたように)パレスチナ人の同化政策が取られていれば、皮肉な言い方だが、問題は「抹殺」されていたかもしれない。しかし、今も湾岸諸国では、2代目、3代目としてその国で生まれても「パレスチナ人はパレスチナ人」である。問題を消し去りたいのなら、同化政策が取られなければならないが、石油収入が下がる中、爆発する人口の大部分を占める若年者に対し福祉国家の生活水準を維持するだけでもやっとの湾岸諸国に、そのような選択肢を選ぶ余裕は全くない。

強権政治 最大の敵はSNS

◆「春」から7年後のアラブ世界

強権政治への民衆革命と言われた「アラブの春」から丸7年。米国に亡命中のサウジアラビア知識人ジャマール・カショギ氏は最近、「少なくともその発端であるチュニジアが元気で、人々が憎しみあったり、抑圧されたりしていないことは喜ばしい」とツイートした。
7年後のアラブ世界では、シリア、イエメン、リビアなどで同胞同士が殺し合う戦争が今も続いている。
また、「反革命」クーデターで政権奪取に成功したエジプトのシシ大統領は、大統領選の対立候補を収監してまで、事実上の単独候補となるよう策謀し、独裁の基盤を固めている。多数の富豪をリッツ・カールトン・ホテルに「招待」して逮捕し、1000億ドル以上を文字通り巻き上げたサウジの事件は、その特異性ゆえ広く知られることとなったが、その前の昨年秋に行われた文化人、思想家、宗教指導者等の大量逮捕については報道も少なく、わが国における関心は低い。中東各国が強権政治下にあり、人権が蹂躙されている、というのは今に始まったことではなく、ニュースに値しない、という極論もあろう。

◆フォロワー多い知識人を大量逮捕

しかし、サウジアラビアやエジプトに見られるこの強権回帰の現象は、30年以上も時計の針を逆回しする反動現象であり、注視する必要がある。カショギ氏はそもそもサウジ政府お抱えの論客であったが、異変にいち早く気づいて亡命した。もし国内で執筆活動を続けていたら、他の有識者仲間同様に逮捕され、今も裁判を受けることなく留置されている可能性が高い。同国のムハンマド皇太子は、今月訪米した機会に米CBSの番組でこの問題を聞かれ、「過激主義との戦い」であると強調した。しかしカショギ氏も、また、逮捕されたイスラム思想家の中では代表格のアウダ師も、過激主義とは程遠い人物である。
では、皇太子はいったい何と戦っているというのか? 逮捕された人々に共通なのは、ソーシャル・メディア(SNS)を通じたフォロワー数が非常に多く、その社会的影響力が大きいということだ。「アラブの春」は別名SNS革命でもある。「ナンバー2を作らない」は今もアラブ政治の鉄則であるが、SNSの人気者は絶対王政を維持する上で、最大の敵なのである。

◆テロ対策でも人権擁護は譲れない

SNS対策は、過激主義対策における基本的な柱である。イスラム過激主義者や、欧米極右団体のテロ呼びかけはSNSを通じて広まっており、これを制限したり、犯罪として摘発していく必要があるのだ。
公共の利益を優先するためには、SNSは先進国においても監視され、場合によっては制限をかける必要がある。しかし、それだけに思想と表現の自由、基本的人権は擁護されなければならない。逮捕後に釈放され、ロンドンに亡命しているサウジアラビアの法律家は、「かつてサウジには世界に誇れる刑事行政手続が人権を保障していたのに」と嘆く。「法の支配」は近代国家にとって譲れない大原則であり、絶対王政といえども、この原則が揺らぐようでは専制政治のそしりを免れないだろう。
サウジで起きたことは、わが国で例えるなら、池上彰氏が亡命を余儀なくされ、古賀茂明氏が留置されているような事態である。そのようなことが起こらないニッポンの僥倖を喜びたいが、このような社会は不断の努力で維持しなければいつ危うくなるかわからない、ということを財務省の決裁文書書き換えをめぐる政治の混乱を伝えるニュースを見ながら考えた。

エルドアンが果たす中東安定化の役割

◆シリア侵攻に目立った非難なし

レジェップ・タイイップ・エルドアン、トルコ大統領。世界が認める「独裁者」である。建国以来世俗主義をとって近代化したトルコを「再イスラム化」する政策を掲げて大統領の座に上り詰め、クーデターをしのぎ、憲法改正で強権を手にした。その権力者が、シリア領内に侵攻を開始した。「イスラム国(IS)」の掃討では大きな功績のあったクルド人勢力がこの地に橋頭保を築くことは、クルド武装勢力のテロに悩むトルコの安全保障上の脅威であるとして、有無を言わさぬ実力行使に出たのだ。当然、関係当事国や国際社会は強い拒否反応を示すかと思いきや、さにあらず。大した非難を受けることもなく、トルコ軍は反体制派組織「自由シリア軍」と共に進軍を続けている(本稿執筆時)。
その背景にあるのは、米、ロシア、イラン、そしてアサド政権という、この戦争の主要プレーヤーの間にある「安全保障地帯」設置構想だ。具体的な線引きはこれからであるから、トルコ軍が今後進軍を停止する境界線は、重要な意味を持つだろう。ロシアやイランが、侵攻を事実上黙認し、米国も「懸念表明」程度にとどまっているのは、各当事者が戦後の果実を分けあう着地点を模索しているからだ。

◆カタール断交問題でも果断な行動力

エルドアン大統領は演説で、「米国はアフガニスタンにもイラクにも、期限を設けることなく侵攻した。我々は作戦の目的が達成されれば直ちに撤退する。領土的野心はない」と明言した。「トランプ米大統領が限定的な作戦で引き揚げろと言うので、トルコ軍が普通に振る舞えば、進路に立ちふさがる敵は完膚なきまでに粉砕されるだろう、と言ってやった」とうそぶく。強烈な個性の持ち主である。貧しい生い立ち、庶民派で演説が上手く、田中角栄になぞらえる専門家も。
そしてこの人の真価は、口先だけでなく、実行力を伴っていることだろう。昨年6月、サウジアラビアなど4カ国がカタールとの断交・封鎖を電撃発表した直後、大統領はトルコ軍兵士のカタール派兵の国会承認を取り付け、日をおかずして実際に派遣した。装甲車5台、要員23人のみであったが、その意味がどれほど大きなものであったかが理解されるのに、時間はかからなかった。

◆毒をもってトランプを制す?

サウジなどをカタール断交に踏み切らせた黒幕は、トランプ大統領であった。この謀略とも呼ぶべきお墨付きを同大統領がアラブの首脳に与えていたことが、最近の元側近の暴露などでわかってきたのだ。それは軍部、国務省などとすり合わせた結果出てきた政策ではない。トランプ政権の1年目は、TPPやパリ協定をめぐる発言にもみられるとおり、まず大統領がやりたい放題で命令を出し、その後始末を国務長官以下、政権幹部が取り繕って成り行きを見る、という手法に終始したと言っても過言でない。世界各地に火種を撒き散らすやり方は、米国の武器売却を大きく伸ばす、単純だが最も効果のある「アメリカ・ファースト」政策であった。しかし、それは常に熱い戦争を引き起こす危険を包含しているのである。
もしトルコがいち早く派兵を発表・実施せず、また、その後の経済封鎖に対抗して食糧の緊急輸送等を行っていなかったならば、サウジアラビアなど断交諸国はカタール進駐まで考えていたと言われている。独裁と絶対君主による政治がまかり通る中東において、一旦、戦争を起こしてしまうとその収拾は難しい。毒を以て毒を制す、という効用か。

暴力的過激主義と戦う

◆テロを現象面からとらえる

10月末、トルコの保養地アンタルヤで、世界の研究者と実務家を集めた「暴力的過激主義対策」のシンポジウムがあった。主催したのはアブダビ(アラブ首長国連邦)にあるこの分野の独立した世界的研究センター「ヘダーヤ」だ。今更の議論だが、世界的関心事である「テロリズム」について、国際社会は統一した定義を提供することができない。ある国のテロリストは、別の国や民族にとっては「自由の戦士」であるかもしれないからだ。つまり、「イスラム国」(IS)やアルカイダが怪物のように急成長した背景には、そのような民族、宗教間の不一致が横たわっている。そこで国際社会はこの問題をより現象面から捉えることとし、いわゆる「テロ」を起こすのは、暴力を肯定する過激主義の萌芽と成長であり、これと戦い、また防止するために具体的な行動を起こすことが、世界の安全と人権を守る有効な手段であると考えるようになった。イスラム過激主義の研究を深める上で、このアプローチは避けて通れない。そんな思いから今年で第4回を迎えた国際シンポに参加した。

◆SNSの「エコー・チェインバー」効果

驚いたことに、初日の発表者の多くは、イスラムの教義を淵源とする過激主義ではなく、欧米社会がイスラム主義の台頭と共に苦悩している彼ら自身の「極右」思想の広まりについて語った。暴力的過激主義との戦いにおいては、ソーシャルメディア(SNS)を使った宣伝、洗脳、リクルート活動等をどのように防ぐか、という論点が一つの柱をなしている。ISはその効用を最大限に利用して、にわか「ジハード(聖戦)戦士」を獲得、欧米で惨劇を起こさせたが、欧米の「極右」勢力もまた、SNSを駆使して①問題提起をし、②共鳴する仲間を集め、③一つの過激思想を信奉させ、④行動を扇動する―という過程を踏襲していることが報告された。とりわけ、この過程で大きな役割を果たすのがSNSの一大特性である「エコー・チェインバー」効果である。「エコー・チェインバー」とは、ある特定の教義だけが唯一正しいものとして密室の中で反響し、参加者は異なる意見を持つことができなくなる状態をいう。このような特性を持つSNSは、使い方ひとつで、イスラムであれ、他宗教であれ、はたまた世俗的な極右思想であれ、それを過激化、暴力化させる上で最も強い力を発揮する道具となる。

◆日本も他人事ではない

外国人の入国者数が倍々ゲームで増え、2020年東京五輪をも控えている我が国においても、暴力的過激主義による事件の発生は刻一刻と近づいているのではないか。そういう明確な問題意識の下に当局は研究と情報収集に当たっているに違いない。しかし我々が今注意すべきは、何もイスラム系の過激主義だけではないようだ。英国の「ブリテン・ファースト」や、豪州の「リクレイム・オーストラリア」といった極右の過激主義団体が、SNSの力を借りて急激に勢いを増したように、日本でも似たような状況が起こり得るのではないか。民族的、宗教的に均質性の高い日本社会では、過激主義は起こりにくく、ましてその暴力化はあり得ないと考える向きも多かろう。しかし、いわゆる「ネトウヨ」や「ヘイト・スピーチ」の問題は日本人同士、または、近隣諸国出身者との間で、既に摩擦を起こしている。ほとんどの国民にとってSNS利用が日常となった今、国民一人ひとりが、このバーチャルなコミュニケーションの特性や危険な点をより良く理解し、リテラシーを高めていく必要があると思い至った。

サウジとカタール 死闘の内幕

◆領空侵入なら民間機も撃墜

「テロ支援は許さない」という大義名分を振りかざして、サウジアラビアなど4カ国がカタールに厳しい「封鎖」を始めてもうすぐ3カ月。それは、戦争行為にも等しい過酷なもので、食料品から建設資材まですべてを輸入に頼るカタール経済を直撃した。幸い、海と空からの輸送は辛うじて確保されているので、大きな混乱は伝えられていないが、例えば資材の調達先変更による建設コストの値上がりは、2022年ワールドカップ開催をにらんで成長を続けてきた同国経済に暗い影を落としている。
そんな中、サウジ資本の衛星ニュース専門チャンネル「アルアラビーヤ」は、「カタールの民間航空機が領空を侵した場合、『敵対的な標的』として撃墜することも国際法上正当化される」という趣旨のビデオ・レポートを放映した。レポートはカタール航空機めがけてロケット弾が発射されるアニメ映像を伴っていて、カタールは国際民間航空機関(ICAO)に提訴、国際的にも糾弾する声が上がっている。

◆傍系王族の担ぎ出しを画策

国営通信社のサイトをハッキングし、虚偽の首長演説を流す、という、そもそも国家的陰謀色の濃いやり方で始まった「カタール懲罰」のキャンペーンは、とどまるところを知らない。サウジは、ついには君主制国家に対する干渉としては最大の禁じ手であろう、「傍系王族の担ぎ出し」にまで手を染めた。カタールの現首長家の一員ながら、過去に首長位を追われた家系の子孫である「アブドラ殿下」とサウジ国王・皇太子との会見を演出し、カタールからの巡礼団に特別機を派遣する、と発表したのである。それまでサウジは国境を封鎖して巡礼団の入国を阻んでいたが、一転「アブドラ殿下」の「仲介」を受け入れ、サルマン国王がメッカへの全員の移動に私費を投じることを決めた、という論法である。これほどまで、サウジやUAE(アラブ首長国連邦)がなりふり構わずカタール首長家を虐めようとするのはなぜか。

◆「自由メディア」黙らせるため

サウジやUAEに言わせれば、「カタールは、われわれがする以上の干渉、嫌がらせを、アルジャジーラやカタールが支配するネット・メディアを通じて行ってきた。アルジャジーラ等を完全に黙らせるまで、戦いは続く」ということだろう。確かに、現時点でもアルジャジーラはUAEの駐米大使による陰謀疑惑、UAE軍によるイエメンでの人権蹂躙疑惑を大きく取り上げているし、カタールの出資しているネット・メディアはサウジがイランやイスラエルと秘密裏に手を結ぼうとしているなどと書き立てている。
2010年の年末に始まった「アラブの春」はリビア、イエメン、シリアの体制を完全に破壊したが、そこで勢いが止まり、湾岸産油国には及ばなかったと、一般には思われている。しかし、現実を見よ。サウジはシリアとイエメンで、UAEはイエメンとリビアで、という具合に軍事介入した先で泥沼に足をすくわれて、立ち往生の体だ。とりわけサウジは巨額の財政赤字で資産を減らすことつるべ落としの様相である。起死回生を狙う経済構造改革政策「ビジョン2030」への取り組みも緒についたばかりの今、国民に体制批判を起こさせるような「報道」は、迷惑の域を超えている。このように見てみると、今アラビア半島では、「アラブの春」で犠牲となった一般民衆の亡霊である「自由メディア」をどう黙らせるか、というおよそ不可能な目標のために、国富を独占する王家同士が死闘を繰り広げている。どちらが勝っても負けても、世界と我が国の経済、安全保障によい影響はない。先行きが大いに懸念される。

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