【特集】中東の熱い冬

エジプトに何が起きていたのか
エジプトの今後を考える上では、それまでの国のかたち、国を取り巻く環境、その他のあらゆる要素を総合的に検討しなければなりません。次に挙げることは、断片的ではあるが、重要だと思っています。なお、問題点を指摘しているのであって、小生の主張を述べているのではありません。
(1)甘えきった社会
エジプト人の主食であるパン(エイシュという丸いパン)は2円ほどで買える。私は小食なほうではないが、半分(1円分)食べれば満足だ。安い理由は政府が補助金を出して価格を統制しているから。
政府の食糧補助金予算は一説に3000億円、そのうちの1000億円はパンを国民に安く食べさせるために使われている。この補助金をケチって、あるいは払えなくなって、パン価格を3円に上げてしまったら、たちまち暴動は起きる。実はロシア産小麦の輸出停止等の影響で、価格は上げないが、パンそのものの入手が困難になり、貧民はパン屋に何時間も並ばないとその日のパンを買えない、という状況が続いていた。
ある統計によれば、普通の人の小麦消費量は年80Kg程度であるが、エジプト人は180Kg消費する。いろいろな数字があるが、他国の2.5倍から3倍の小麦を消費していることは事実であり、その理由が補助金である。パンは、動物飼料よりも安いため、パンが家畜に与えられ、庶民はその家畜の肉を売ることで現金収入を得る、といったゆがんだ経済になっている。これは私がアラビア語を研修した25年前もそうであったが、エジプトはこの構造から抜け出すことができない。
その他の基礎食料品ももちろん補助金で価格が抑えられている。有名になったタハリール広場に面してカイロ・アメリカン大学(AUC)があるが、ここに通っていた当時の私の楽しみは、門を出て通りを隔てた向かい側にある庶民的なカフェで、ガラスのコップで飲むエジプト紅茶であった。色濃く煮詰められる紅茶も、コップの半分ほども入っていて、そのうえから紅茶が注がれる砂糖も、みな補助金のために安いから1杯10円や20円の値段で飲むことができるのだ。
(2)米国とその同盟国の支援
上記のようなバカげた政策を30年以上続けられた理由は、1にも2にもユダヤロビーにキンタマを握られている米国が支えてきたからである。米国の対外援助先の筆頭はダントツでイスラエルだが、第二位はエジプトである。そして、米国の世界中で最大の大使館はカイロにある(あった)。
国民が、2円のパンを食べ続けることができたのは世界中を飛び回っては「お恵み」を乞うてきたムバラク大統領のおかげである。ムバラク氏が国家への貢献を口にし、決して辞めようとしないのは当たり前である。彼を悪くいう国民は恩知らずも甚だしい!?
(3)イスラム過激主義の蔓延
公正な選挙が行われると、ムスリム同胞団が第一党になることは間違いがない。だから、政権側はどのような汚い手を使ってもこれを弾圧し、不正な選挙を行ってきた。米国は、国民の味方だ、民主化を、などとうそぶいているが、エジプトで絶対に行ってはならないのは公正な選挙である。すべてがぶち壊しになる。
(4)歪んだ経済開放政策と働かない人々
エジプトは階級社会。一握りのエリート層、貧しい一般庶民、非常に貧しく人間らしい生活を送ることのできない貧民層が存在しピラミッド構造をなしている。国家の徴税機能は麻痺している。ずる賢い者、体制にコネを有する者が巨万の富を築く。労働者には2円のパンが買える給与を与えておけばよいのだから。
労働運動は別の貴族社会を作って体制を支持してきた。共和制となったナセル時代以降、労働者はほとんど公務員であり、公務員の組合たる労働組合の代表が国民議会の議員ともなり、「働かなくても楽に暮らせる」既得権を次々に制度化した。グローバル化、外資導入等によって民営化しようとしても、国際競争力を持つことができない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました