現実を少しづつ改善する

4月のイスラエル旅行では、故アラファトPLO議長の墓参をした。
私がチュニジアで書記官をしていた4年間は、オスロ合意の前夜であり、PLOの本部は首都チュニスにあった。本部、といっても特に自民党本部のようなビルがあるわけではなく、いくつかの民家をオフィスにして、PLOの幹部や職員の事務所が市内に点在していた。そこで何度か行われた日本からの来訪者とアラファト議長との会談を通訳した私は、日本人としては故議長をもっともよく知るひとりなのかもしれない(日本赤軍のひとたちも、実際にはほとんど会えなかったのではなかろうか)。
唾が飛んでくるような距離で情熱的に話す議長が常に口にした言葉は、「死して埋葬される土地なし」というパレスチナの悲哀だった。ガザ出身(とされる)の議長の望みは、パレスチナの首都エルサレムに埋葬されることだったが、エルサレムとは目と鼻の先にあるパレスチナ暫定自治政府の拠点、ラーマッラーの自治政府関係施設の一角にこじんまりと整備された廟に納まった。これが、議長の闘争の一生の末のひとつの現実である。
話は飛ぶが、最近日本を訪問したある湾岸国の政府関係者の中にパレスチナ人がいた。皆で休憩しようと街角のあるコーヒー専門店に入ったとき、この人だけは「○○はボイコット対象なので」と、飲食を拒否した。すべての読者に分かるよう解説すると、パレスチナ問題は、世界的なシオニストの祖国帰還運動のツケであり、全世界でこの運動を支援しているユダヤ資本と闘わない限り解決できない、という考え方がある。そのために、アラブ連盟では設立の当初より「アラブ・ボイコット」と呼ばれる、ユダヤ系資本によって経営される会社の商品の不買運動を展開していた。
しかし、このボイコット運動は功を奏さず、今やだれも守らなくなった。15年ほども前、イスラエルに行ったときは、このボイコット運動に倣わなかったスバル車だけがやけに目に付いたものだが、今回はありとあらゆる日本車を見ることとなっていた。そのように、政府レベルでのボイコット運動が死滅した今も、個人のレベルで「ス○○○ッ○スのコーヒーは飲めぬ」と操を立てる人がいるのを見て悲しくなった。一緒に来ている同僚の誰一人巻き込めない、さびしいボイコットである。これも現実だ。
パレスチナ人の権利回復運動は、現実的でなければ意味がない。ボイコットが功を奏するためには、多数が同調しなければならないが、世界市場を相手にビッグビジネスを展開するユダヤ系資本に対して、もともと小さなアラブ市場はまとまっても大したことがないのに、その上分裂している。経済戦争で勝とうというなら、不買運動でではなく、実業で勝ち進んでいく他あるまい。
そう考えてみると、故アラファト議長の墓がエルサレムに移転・改葬(イスラム教徒にその習慣はないが)されるような時代は100年経っても、いやもしかしたら永遠にくることはないのだろう、と思われる。しかし、その一方で、アラファトがエルサレムとはきわめて近い距離にあるラーマッラーに眠ることができた、ということも動かし難い現実である。チュニスにいたアラファトが、占領地に帰還できたのは、イスラエル側で和平を望んでいた人々と協調し、過激主義に対して過激主義で抵抗しない、武力に対して、武力で反撃しない、という信頼感を醸成したからだった。
和平を追求する人々は、この現実を大切にしなければならない。お互いの武装を解き、エルサレムとの間に横たわる非文明的な分離壁を一日も早く取り壊すことができるよう努力しなければならない。

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