預言者について

預言者(prophet)とは、その文字が示すとおり、神のメッセージが直接または間接的に託されたとされる人間のことである。イスラムにおいては、ユダヤ教のモーゼやキリスト教のイエスも預言者であり、ムハンマドが最後の預言者としてアッラーに選ばれ、宗教が完成した、と教えられている。
イエスが、キリスト教の教義においては「神の子」として神格化され、神と人間の区別が曖昧になったことへの反省(?、対抗??)からか、イスラムにおいてムハンマドは「預言者」であることが強調される。すなわち、預言者ムハンマドは孤児であり、文字は読むことができないが正直な男であり、大天使ガブリエルから神のメッセージを伝えられた後はイスラム世界を率いる人間として人々の尊敬を集める中で亡くなった、ひとりの人間(=有限の命)なのである。
イスラムでは、偶像崇拝が固く禁じられている上、ムハンマドを神格化して神と同等に崇拝するといったことが起こらないよう、ムハンマドの肖像や絵画、彫像等による伝道は一切行われなかった(シーア派や一部の異端を除く)。キリスト教において、文字を知らない一般庶民に聖書の物語を理解させるためイコンや壁画が多用されたこととは大きなコントラストだ。
ところが、その結果イエスは却って親しみ易い存在となった。イエス様と聞けば、人は誰でもこのような顔を思い浮かべるだろう。イコンの画家達は、だれもイエスに会ったことがないが、その顔の描き方はきちんと決められていたので、どの教会にも同じような顔があるのだ。
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人間ではなく、三位一体(神の一部)とされたイエスだが、肖像画が存在することで人々はその絵を教会だけでなく家の中に飾ったり、十字架に掛けられた姿で身につけたりと、随分身近に感じることができる。そのためかどうか知らないが、イエスを題材にした映画もタブーではないし、世俗化の進んだ西欧社会では、イエスをジョークの対象としても嫌がられることはないし、まして殺されたりはしない。
一方、人間ムハンマドの方はどうであろうか。ムハンマドの肖像画は許されなかった半面、預言者がどのような人であり、どのような言動をしたか、ということは詳しい伝承として宗教的に規定されている(ハディース)。それは、単純化すれば、イエスの肖像の描き方が決められているのと似た側面がある。しかし、絵による表現とは異なり、言葉の持つ力は凄い。人間であるはずのムハンマドが、限りなくアッラーに近い、奇跡の存在として語り継がれることになったのである。人間である以上アッラーとは明確に区別され、崇拝しないということがアッラーの言葉によってあれほど厳密に指示された、というのに、現実には、神の子イエスよりずっと神聖化された存在に祭り上げられてしまった預言者ムハンマドなのである。ここに、今次また繰り返された「恥ずかしい」騒動(*)の原因があると私は思う。
イスラムの啓示があって初めて、人間は道理と真理に満ちた発展の時代を迎えた。それ以前の時代をジャーヒリーヤ(無明時代)と呼ぶ。イスラムがもたらした優れた制度と平和により、イスラム世界は大いに発展し、暗黒の時を送っていたキリスト教社会に優越していた。ところが、どうだ。現在のざまは。預言者様が侮辱されたと言って、映画を見てもいないし字も読めない人々の騒ぎ、暴れる様を見るがいい。これが、真のイスラム(神のご意思)でないことは明らかである。イスラムの指導者は、彼らに許されている「解釈」(キヤースやイジュマー)によって、真のイスラムが何であるかを示し、危険なだけのイスラム過激主義を撲滅するべきではないだろうか。
(*)非ムスリムの筆者がそう思っているということでなく、多くの敬虔なイスラム教徒もそう感じ、恥じ入っている。そう思ったイスラム指導者もまた、発言をしている。

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