裁判官の矜持

エジプトの大統領選挙管理委員会事務局長のハーテム・バガト判事を招いた講演会が6日、内幸町のフォーリン・プレスセンターであり、逐語通訳を務めさせていただきました。(JICA・中東調査会共催。テーマは、「エジプト大統領選挙と内政」)
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©エリコ通信社
バガト判事は、アレキサンドリア大学法学部を卒業後、一貫して裁判官の道、それも要職を勤め上げた方で、2005年以降の「選挙管理委員会による選挙運営」という新しい歴史の流れの中で、エジプト文明5千年の歴史を通じて初の民意による大統領選出、という偉業となった先の大統領選挙の「コンダクター役」を演じました。ご講演では、エジプトの古くからの民主化の制度的歩みについて触れられましたが、何と言っても圧巻であったのは、それまでになかった選挙の仕組みを、「革命」後の時間的制約の中で新しく作り上げて実施しなければならない責任を負った同判事の責任感がほとばしる、選挙準備と実施をめぐる裏話でした。
ご講演内容については主催者から正式な講演録なども出されるでしょうから通訳者としては沈黙しておきたいと思います。他方、初めてエジプト法曹の中心人物のひとりから非公式にご意見を聞く機会を得た小生としては、かねてからエジプトの選挙と裁判官の関係について抱いていた疑問にひとつの答えを得ましたので、これをご紹介しておきましょう。講演では、軽く言及しただけで流された点でもあり、研究者の皆さんには参考にして頂けることと思います。
2011年(革命後)の法改正以降、エジプトの議会選挙管理委員会と大統領選挙管理委員会は、裁判官のみによって構成されています(講演で述べられた点)。また、選挙は立候補の受付に始まり、最終当選者の発表まで、すべての手続きが選挙管理委員会によって直接行われます。これが、「各投票所に裁判官がいる」「一部の投票所に裁判官の到着が遅れたため、投票時間が繰り下げられた」といったニュースの背景でした。バガト判事によれば、エジプトには14,000人弱の裁判官がおり、彼らをすべての投票所に振り分ける、といったことも管理委員会の仕事であったということです。
前日にお会いした際、私は「選挙に裁判官が立ち会うという制度は、世界的にあまり例がないと思うが、どういう理由か?」と、予てからの疑問をぶつけました。判事が言下におっしゃったのは「国民の(裁判官に対する)信頼だ」という言葉でした。
つまり、こういうことのようです。
エジプトでは、選挙は以前内務省によって管理・運営されていました。役所によって運営される選挙を国民は信頼していません。すなわち、役人は「政府の人」であって不正をするということです。他方、中立性を有し、間違ったことはしない裁判官が選挙を監視するなら、国民は清潔な選挙を期待できる、ということです。
お国柄の違いと言ってしまえばそれまでですが、地方自治体職員主体で不正のない選挙を整然と実施できる我が国とは、事情が違うのです。そのような中で、前例のない新しい選挙の実施に挑戦した判事の経験談は、正義に対する判事の確信と情熱に裏打ちされたものでした。エジプト式「裁判官の矜持」は、聴衆にも伝わったことと思います。
また、今回の選挙実施に際し、国際協力機構(JICA)が非常に大きな技術的支援を果たしていたことを初めて知りました。この点は日本メディアが軽視していたのではないでしょうか。歴史的な変革が起きているエジプトのことを、日本人はもっとよく知る必要があると思います。

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