自由と人権を逆手にとる過激主義

◆アルジャジーラ記者を拘束

「記者であることは犯罪ではない」。それは、6月下旬、ドイツのベルリン空港でエジプト当局の国際手配に基づいて身柄拘束されたアルジャジーラのアフマド・マンスール記者がテレビカメラに向かって示したプラカードの標語である。近代史が確立した最も重要な価値のひとつが報道の自由であることは疑いないだけに、「ドイツのような先進国がエジプト専制政治のお先棒を担ぐはずがない」との「予言」どおり、同記者はドイツ司法の判断により無罪放免となった。スタジオに戻った同記者は、「自由の喜びを噛みしめている。事件は終わっていない。70人もの無実のジャーナリストがエジプトで今も拘束されている」と述べた。うち1人は死刑、13人が終身刑判決を受けているという。

◆「痛恨のエラー」、独当局

イスラム過激主義集団であるムスリム同胞団の強力なプロモーターであるマンスール記者は、ドイツ当局痛恨のエラーと見られる今回の事件を、「アッラーの崇高なる御業だ」と称えた。ドイツという世界に冠たる民主国家によって自らの無罪が証明されただけでなく、同僚ジャーナリストや同胞団メンバー(死刑判決のモルシ元大統領を含む)への容赦ないエジプト政府の弾圧の非を世界に示す好機となったと考えたからだ。実際、ドイツ国内では、なぜ記者を拘束しなければならなかったのか、検証が続いている。ただ、エジプト当局による同胞団弾圧は、サウジアラビアを中心とするイスラム圏をはじめ世界的に一定の支持を得ていることも事実だ。今日のイスラム過激主義の隆盛を招いた責任の一端は、マンスール記者とアルジャジーラにあると考えられているのである。

◆「盗人猛々しい」

過激主義は、民主主義と人権を盾に政権に至ることを常套手段とする。民主的な選挙をすると宗教的専制政治を招く、ということは中東イスラム世界のもはや常識となった。マンスール記者の釈放の言に、私は正直なところ「盗人猛々しさ」を感じた。報道の自由、表現の自由は、それが守ろうとしている社会を擁護するために保障されているはずである。ドイツは一方で反イスラム右翼勢力の表現の自由をどう規制すべきか、ということでも悩んでいる国だ。過激主義は民主的な制度を逆手にとる。だからといって、行き過ぎた処罰はできない。まことに悩ましい問題だ。

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