「津波対策もせず海岸に原発を放置した責任者よ、出てこい!」
友人のパンオリエントニュース/アズハリ代表とはフェイスブックでも交流があります。
先日、もうひとりのFBフレンド中山光正さんが原文よりも正確緻密な日本語訳をつけて紹介して下さった福島の悲しいルポ(CNN)を読んで私は図らずも落涙、この記事をシェアしたところ、珍しくアズハリさんからコメントがつきました。私が、「(こういう悲しい話を聞くと)犯罪行為の責任を認めようとしない会社(東電)に火をつけたり、自己の利益のための政争に明け暮れている政治家を追放することが人間として最低限の義務なのではないか、と(まで)思ってしまう」と少々過激なコメントをつけたことに同感してもらえたようでした。
アズハリさんのコメントの大意は次のとおりでした。
「6月上旬に開かれた国会事故調査委で清水元東電社長(事故当時社長)の『尋問』があるというので取材に行ったが、彼への質問は全く手ぬるかった。誰も、東電が2回にわたる津波対策についての警告(10m以上のものが来る)をなぜ無視したのか聞かなかった。東電が無策であったことについて、清水氏はもっと詰問されるべきだった。この件についての我が社記事リンクだ。」
清水前東電社長、事故調に招致。野田首相は大飯再稼働を発表
記事を読んだ後、私は次のように返事しました。
「よい記事だね。君の疑問は少しも変じゃない。清水氏は縛り首にされて壊れた原子炉の中にでも放り込まれればいい。」
すると直ぐ返事がきました。
「なぜ、政府はあんなにも東電を庇うんだ?守るべき権威など、とおの昔に失墜しているぞ。補償問題があるからか。賄賂?癒着?わけがわからない。日本のメディアは小沢の小さな金権スキャンダルにあれだけのエネルギーを費やしながら、清水元社長の責任は不問だ。訴追すらされていないんだから。」
彼の疑問は極めて当然、論理的であるし、私が震災直後より持ち続けている義憤の核心でした。そして、この疑問に対する答えを発信できない日本は、世界の笑いものであり、また、とても心の底からは信頼されない民族となっています。私は次のように返信しました。
「私の意見では、東電を保護するということと、責任者の追及・処罰は全く矛盾しない。それどころか、この災厄を招いた人間を正しく処罰した後で、初めて、東電への支援は正当化され、好感を持って実行されるだろう。しかし、だれもそのことを言わない。その理由は重層的なもので、ひとつではない。お茶でも飲みながら議論する必要があるね。技術的に言って、清水氏を逮捕する根拠法もなさそうだ。」
私が、理由を具体的に書かなかったのは、ひとつには、本当にこの現象は重層、かつ複合的な要素によって出来上がっていると思ったからですが、もうひとつは、私自身、その理由の本当のところが理解できないからでした。聡明なる読者の皆様、どうか、「本当の理由」をお教えください。私が重要だと感じていることは次の点です。
-日本人は身の回りの小さな規律違反には極めて厳しく反応する(ムラ社会)が、大掛かりな国家犯罪、組織犯罪には無頓着(おかみを縛り首にするという、所謂「革命」ができない)
-メディアは世論迎合的であって、先に結論がある。公器として、よりよい社会の指針を示すという気概に欠ける
-「地震は起きるもの」「自然には逆らえない」という諦観が強すぎる
-国民が総サラリーマン化、官僚化しており、責任を取らない社会を受け入れてしまった
特に知りたいと思っていることは次の点です。
-現行法で責任者を刑事訴追できないのか?
-刑事訴追をしようという努力がなされているのか?
-主要メディアはなぜ沈黙しているのか?(上記の要素以外に)
*注1 アズハリさんの主宰しているパンオリエントニュース社は、中東の主要メディアに東京発の英語、アラビア語ニュースを供給しており、我が国と諸外国との関係を考える上で重要な役割を果たしています。
*注2 文中、過激な表現がありますが、小生が特段、清水元社長の事故責任をそのとおりに判断しているという意味ではありません。しかし、「縛り首」でも軽いと思われる責任者は複数おり、その断罪を済まさずしてエネルギー政策もへったくれもないと感じております。また、事故原因との因果関係は別にして、清水元社長が事故後にとった一連の行動について、大学の一後輩として強く残念に思っております。稲門にあるまじき、です。
コメント
SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
清水社長の刑事訴追は不可能です。なぜなら、清水氏は何ら違法行為を犯していないからです。
仮に清水氏が「名経営者」だったとして、事故前に巨額の費用をかけて、法的に義務付けられてもいない地震・津波対策をしたら、「会社に不要な損害を与えた」として、東京電力の株主から訴えられる虞さえあったでしょう。
清水氏の法的責任を問う手段がないこと、このことは同時に、事故や非常事態が生じた際の法制度が全く未整備だったことを表しています。東電本体だけでなく、政府、産業界、マスコミ、更には国民全般、原発の緊急事態に関する対応について、全くの思考停止だったのです。
脱原発を主張する人々は、自分たちは原発に反対しているのだから、事故が起こったとしても(道義的に)免罪されるとの考えなのでしょうが、非常時に対する思考停止については同罪なのです。本当に原発の危険性を憂えているなら、緊急時にあるべき対応・制度について、推進派と真摯な議論に臨んでおくべきだったのです
結果として福島県民を地獄に陥れてしまった、この思考停止の罪から免れたい私たちは、せいぜい威勢よく清水社長を吊るしあげ、自分たちの心情的な潔癖さを訴えてみせるしかないのです
SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
名もない小市民 様
待望のコメント(情報+ご意見)をどうもありがとうございます。
ご指摘は、いくつかの論点を提供していて、更なる検証の助けになるものと感じます。
責任者の刑事訴追、というとき、原発や電力事業関係に特別法があるかどうかも知らないのですが、ないのであれば、業務上過失でしか罪は問えないでしょう。そして、過失については、「建設当時の堤防の高さの設定」、「3m超から5m超に嵩上げしたときの判断」、「これでよい、と言った人の責任」「不十分という指摘を受けながらもそれを『無視した』責任」「社長として設備状況を当然知っていながら、対策しなかった責任」(名もない小市民さんが議論している清水元社長に関する点です)、といったことから、「近隣の消防自動車とホースの継ぎ目が合わない設備で放置していた」(つまり、演習を行なっていなかった)、「全電源喪失は考えないでよいと言った学者の責任」ということに至るまで、さまざまな問題点が存在していると思います。
それらを全て洗い上げ、この点に関して関与が疑われる人はA、B、C、D、という風にリストアップし、この件については時効、この件については嫌疑不十分、といった具合に一人残らず調べていかなければならないのではないでしょうか。政治家、学者、東電役員、職員のすべてについてです。
司法当局がなぜそれをしないのか。司法がしないなら、それを追及するのはメディアの責任だと思うのですが。
そういうメディアを放置し、政治家を投票で選んだ、という責任は確かに国民にありますけれども、「思考停止の罪」なるものは問えるものではないと思います。
お気付きの点、更にありましたらご教示ください。
SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
事故が起きた後で、業務上過失致死などという原子力被害を全く想定していないのが明らかな法律を用いて処罰が行われるようでは、とても法治国家とは言えません。
御指摘のような責任の追及の仕方は、まるで大東亜戦争の戦犯の追及と何ら変わりがないように思われます。(A級、B級、C級などという格付けまでそっくりです)。戦勝国の戦争犯罪は一切不問にされる一方で、敗戦国の軍人らだけが後付けの理由で戦犯に仕立て上げられました。
話が脱線しました。私自身、「思考停止の罪」などで関係者を処罰できるなどと思っておりません。既に事故から1年以上を経た現実が示しているように、関係者の法的責任の追及などは不可能だと申し上げたかったのです。法制度や危機管理の不備を棚に上げ、「兎に角誰かに制裁を加えねば」という風潮が、大変残念でなりません。
SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
名もない小市民 様
貴重なご意見、承りました。どうもありがとうございました。