ムスリム同胞団と民主党

前稿で「しばらく次の幕が開くことはあるまい」と書きましたら、「なぜそんなことが言えるのか?」「選管の大逆転発表で大混乱予測」という趣旨のコメントをいただきました。ご趣旨誠にごもっともであり、かく言うわたしも間もなく発表されるであろう軍エスタブリッシュメントの意志(*)がどのようなものになるか、大いに注目しています。
(*:つまり、悲しいことにエジプトの選挙結果は今も操作可能な「事実」。「エジプトでは投票より開票が重要」というイスラエル製ジョークは至言ですね。)
ただ、ここで賞味期間数十時間のコメントを書いても仕方がないので、この選挙を機会に、これからのエジプトと中東(特にシリア以東)をどう見ていけばよいのかについて私なりの考えを述べたいと思います。
革命派と旧体制の間の勝ち負けは、昨年2月の段階で既に決しており、エジプトが変革を成し遂げるためには、「第二革命」が必要だ、ということは去年何度かこの欄でお話ししました。大統領選挙決選投票に革命を代表する人物が残れず、旧体制(軍)と同胞団の一騎打ちになり、それほど分かりやすい戦(いくさ)で同胞団が苦戦する(すなわち、投票した人の半分は昔のままがよい、と言っている)という事態が生じているのは、その帰結であります。したがって、シャフィークが勝とうと、ムルシーが勝とうと本質的に情勢が変わるわけではないのです。シャフィークが勝てば、軍のその強引な手法に非難が集中するでしょうが、同胞団としては「大義」を持ち続けることができてむしろうれしい状況が現出するでしょう。逆に、同胞団から大統領が出るということになれば、先に書きましたとおり、リベラル勢力には新たな暗黒の時代の到来です。同胞団も、支持者の期待に応えられず、離反が起こり、支持基盤は蝕まれていくでしょう。
「大義」といい、離反(離党)といい、どこかで聞いたような言葉ばかりです。そう、我が国の政局と非常に似ている部分があるのです。
NHKの記者が「小沢には大義がある」とコメントしたのには飛び上がって驚きましたが、小沢派が主張している大義は「反対のための反対」であって、有権者に対して、「自分は常に正義の味方だから、次回もよろしく」と言っているに過ぎません。万年野党であればそれも仕方ないことですが、民主党は政権党であったのですから、公約どおり、革命を起こして(マニフェストの実施は革命を起すのと同じほど重要かつ困難なことでした)諸改革を断行し国民の信頼に応えるべきでした。それにことごとく失敗しておきながら、また次もよろしく、と言っているに過ぎないのです。
思い返せば、今は民主党の中に身を隠している残党もいらっしゃいますが、かつて日本社会党という政党があり、大義を抱えて国民の支持を訴えていました。その党はどうなったか。政権をとるや、消滅してしまう憂き目に遭いました。
イスラム過激主義(復興主義)に基づく政治というものは、エジプト社会において、また、イスラム世界全体において居場所がありません。それはファッションであり、野党にいる間は大義でいられます。しかし、政権はとれないのです。なぜなら、歴史の針を逆もどしすることを世界が許さない、ということが第一、それぞれの国のエリート層が世俗・リベラルであるということが第二、そして第三に、かれらの主張が現実と乖離していて、政策として具体化することが困難か、まったく実現できないからです。
同胞団という宿痾を一度に消し去ることができないまでも、健康な体に影響を与えない程度に押さえ込む必要があります。そうでなければ、イスラム世界に明るい希望は見えてきません。トルコではこれを近代化以降、長期間タブーとして弾圧したことで今日の国運の隆盛があります。チュニジアでは、自らがあらゆるトゲを抜き、毒を消すという作業をして生き残りを図ろうとしています。
thumbnail_67421386001_214034194002.jpg
小沢一郎さん
©日本経済新聞HPより(映像は再生できません)

コメント

タイトルとURLをコピーしました