舞台は憲法制定委員会へ

エジプト中央選管による大統領選挙の結果発表の中継を見ていました。
日本の刑事裁判では、死刑判決のときだけ、主文後回しと言われます。選管委員長は死刑判決を言い渡す裁判官よろしく、延々と個別選挙区における異議申し立ての内容と精査結果を読み上げて行きます。
とうとう、「判決」が出ました。彼が最初に口にしたのは「シャフィーク」の方でした。私だけでなく、だれもが、あ、やっぱり、と思った(落胆した)でしょう。しかし、次の瞬間、彼が口にしたのは48.3%という数字。「え、ということは??」
ムルシー候補1300万…、と言った瞬間、歓呼の声が沸き上がり、委員長はそれ以上の数字を発言できません。その瞬間にエジプト中が、いや、世界が沸き上がりました。
会場は「アッラー・アクバル」(アッラーは偉大なり)の連呼。私や、イスラム過激主義にバイアスをかけて眺める人たち、特にイスラム過激主義の嫌いなエジプトの少なからぬ有権者は、「おいおい、ちゃんと民主的な政治をやってくれよ?イランやアフガニスタンみたいにしないでくれよ」と思った瞬間です。しかし、それを叫んでいる人々の心境は少し違うでしょう。もちろん、掛け値なしの歓喜がそれを口走らせているのですが、あえて解釈するなら、「アッラーは誠に偉大なお方だ。選挙結果を操作しようと思えばいくらでもできる彼らに、そうはさせず、ムルシ候補の勝利を認めさせるまでの業(わざ)を示された。アッラーに称えあれ」というものだったでしょう。
だから、イスラム主義の大統領を支持したほとんどの人々の気持ちに罪はありません。しかし、大統領も、議会もイスラム過激主義が独占、ということでは、諸外国は警戒するし、無用の戦争すらしかけられかねない、イランの二の舞にもなります。第一、独裁旧政権がいやで仕方なく応援した、というリベラル派すら、弾圧の憂き目に遭うでしょう。そう考えると、軍が「何の根拠もない」補足憲法宣言を出して大統領の権限を骨抜きにすると同時に人民議会選挙のやり直しを図っていることは、リベラル派としてはむしろ歓迎すべきことなのです。
556637_489722071053821_109569575_n[1]
©TweetThawra
リベラル派と革命青年勢力というのは1枚岩ではないでしょう。しかしその多くが、補足憲法宣言の撤回を軍に認めさせるまで同胞団と共闘で広場で座り込むとしているとの報道があります。これは奇妙なことで一時的な現象と思います。そのうち、リベラル派と同胞団は仲違いするでしょう。そして、いよいよ正式な憲法を制定しなければならないのですから、その話し合いの舞台は憲法制定委員会に移ります。そこでは同胞団は多数の論理を行使できないことになっています。その上、ムルシ大統領自身の「世俗政治」公約があります。ですから、簡単に言って、同胞団は熱心な支持者の期待には応えられず、かといって馬脚を現そうとすれば、軍、リベラル派双方にいじめられる、という構図になっています。長期的に言うと、同胞団活動は穏健化せざるを得ず、勢いは削がれていくと見るべきでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました