足を引っ張るのはやめろ

国の非常時にあって、危機感を感じないのは政治家だけでなく大手メディアはもっとひどいようである。鉢呂経産相を辞任に追い込んだ報道には、針小棒大な報道、取材側、被取材側間の信義則違反等、数々の疑惑がある。最も大きな問題は、各社が遅れまいと追随報道し、真実を知るにはネット情報に頼らざるを得ない、というお粗末な状況が出現していることである。もはや新聞・テレビの時代は終わったと言わざるを得ない。
メディアとは、その言葉からしてわかるように市民が真実を知る上での媒体である。媒体が真実を捻じ曲げたり、事件を作っていたのでは、もはやその役割を放棄したものであって、誰も顧みることはなく、社会からは消え去る運命にあると言ってよい。
大政翼賛は良くないが、今我々にとって何が大切か、という指針を示すのが国民の信託を受けた大マスコミのすることだろう。人間はひとりとして完璧な人間はいない。そのことは、書いている記者ひとりひとりが自分の胸に手を当てて考えればわかることだ。政治家の身体検査をして、それでも綻びが見つからなければ謀略で引っ掛けても引き摺り降ろす、そんな行為を許すために国民の代表として記者クラブに座ってもらっているのではない。
ある長老が公の席で、「10億くすねている政治家であっても、やっていることが正しい政治家を支持する」と言った。10億円くすねるような男が正しい政治をするか否かは疑問だが、論旨はその通りである。特に、今のような非常時には、政治がスムーズ動くよう、よりよいアイデアが政策として具体化するよう国民が団結する必要がある。そして、何より、今回のような「足を引っ張る」行為、そしてそれに群がって他社と競争しているつもりになっているメディアというのは最低でばかげている。
以上は、「死の街」「放射能つける」を針小棒大に報道し、辞めなくていい大臣を辞めさせた、という国家的犯罪についてのコメントだ。しかし、この報道にはもうひとつ、メディアがしてはならない大罪が隠れている。それは、「タブー」作りである。
福島県民が背負った被害とハンデは取り返しのつかないもので、私達国民は全て同胞精神でその回復と福祉のために全力を挙げなければならない。その上は、風評被害をもたらすような言動や、差別につながるような発言は慎まなければならない。しかし一方で、現実を直視し、その対策を行なっていく上では、事実は言葉にしなければならない。特に政府の責任者であれば言いたくないことでも言わなければならないことがある。それを「タブー」で封じてしまっては、正常な政策運営は望めない。
タブーに注意して、風評被害を広げない、ということはメディアに課せられた使命であるのに、自分の使命を棚に挙げ、政治家がタブー違反をした、と槍玉に挙げる。その行為で作り出しているのはタブー強化、言論統制にほかならない。
辞めた経産相がもともとそういう人だ。常に差別発言ばかりしている、意識がなっていない、ということならそれは堂々と報道すべきだ。しかし、そうでないときは、仮に行き過ぎた表現があっても、そこを丸く報道するという姿勢が求められると思う。
言論の自由を主張し、それを守っていくべきメディアが、言葉刈りをするというところに、ムラ社会に育った日本メディアの悲しい現実を見る。何とかしてほしい。

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