◆恥さらしたカブール陥落
米国はアフガニスタンで20年戦い、敗れた。このことは、米国にとって最大かつ最長と言ってよい、イランとの「戦い」に悪い影響を与えている。米国とイランは、イスラム革命直後の大使館襲撃・人質事件を受けて1980年に断交、今も外交関係がないが、それは単に顔を突き合わせることがない、というだけでなく、この40年余の間に地域で次々に起きた直接・間接の戦争、テロの底流をなす対立だ。
40年間、湾岸アラブ産油国は、自国を「革命の輸出」から守るため、相互に同盟し、かつ米国の強力な軍事力による庇護を安全保障の柱としてきた。しかし、イランに軍事・経済的圧力をかけることで核開発を断念させようとした米国のトランプ政権が退場すると、バイデン政権はオバマ政権時代の「融和」、「撤退」路線を復活させ、劇的なカブール陥落という恥をさらした。サウジアラビアは、米国頼むに足りず、とイランとの秘密交渉を既に開始していた。だが、イエメンから弾道ミサイルと自爆ドローンが飛んで来ている「一番必要なこの時期」に、パトリオット(ミサイル)部隊を引き揚げた米国のやり方にサウジは怒り心頭、と伝えられた。
◆強気イランに弱り目サウジ
今年4月よりバグダッドで回を重ねているイランとサウジの水面下での和解交渉が進展し、近く何らかの発表が行われるのではないか、との見通しが伝えられている。イランの高官が「進展は、もはや我が国と敵対してもかなわないとサウジが納得した結果だ」と発言したと伝えられるなど、イランは強気の姿勢であるが、イエメンの泥沼から足を抜き、自国の安全を自ら守るしかない状況に置かれたサウジの弱り目は尋常でない。
また、米国の一方的離脱で事実上効力停止している核合意の再開交渉も暗礁に乗り上げており、訪米したイスラエルのラピド外相は、ブリンケン国務長官に「プランB」(核合意が反故にされた場合の対抗策)の必要性について発言させる戦略を取った。選択肢の中には「軍事作戦」が含まれる、という脅しがあるが、イランによる原子爆弾の製造までは、米、イスラエルともにもう容認、というか、諦めがあるのではないかと言われている。
◆一貫性ない米外交
イラクでは、総選挙の結果サドル派が躍進し、次期政権は更に親イラン色を強めるだろうと見られている。その息のかかった民兵組織は、わずかに残る米兵2500人を早晩追い出してしまうかもしれない。混乱極まるレバノンでは、イランの右腕であるヒズボラが内戦を引き起こす懸念もある。いつの間にか、「シーア派の三日月」は強大な形で完成した。
英国のスエズ以東撤退(1968年)で、アラブ首長国連邦(UAE)やカタールなどの湾岸産油国は独立した。米国の中東におけるプレゼンスが大幅に縮小する今回の事態は、サウジを筆頭とするこれら諸国のさらなる自立を促し、イランとの安定的な関係を築くきっかけになるのではないか、という楽観論もある。イランも、攻撃されないなら、民兵組織の手綱を緩めるだろう。その一方、イスラエルと湾岸諸国の「正常化」は、今後ほぼ確実に軍事同盟に進んでいくと見られている。米国の外交方針は、全く一貫性がないように映るが、一貫しているのは、危機を作り出し、高価な武器を売ってきたことだけだ。従って、イランを巡る対立が、いつ熱い戦争に向かうとも限らないと見るべきであろう。