◆国王存命中の即位狙う?
サウジアラビアで国王の実弟や前皇太子をはじめ多数の王族、内務省幹部らが反逆罪の疑いで拘束された。今年G20の議長国役は大丈夫か、と心配していたら、事実上の最高権力者の座を確保しているはずのムハンマド皇太子が、実は11月のG20首脳会議までに国王になりたいのだ、という驚愕の分析まで飛び出した。この政変、サウジ国内では一切報じられない中、欧米の分析報道は賑やかだ。
詰まるところ、ムハンマド皇太子に対するサウド王家内の不協和音は大きく、これを粛清する必要があった、ということのようだ。「皇太子が父のサルマン国王存命中に即位し、国王には退位を求める意向」とされるのは、国王が崩御してしまうと皇太子が自動的に国王に推挙される仕組みではないため、次の国王を選ぶ「忠誠委員会」の出す結論が心配なのだという。この忠誠委員会は、そもそもムハンマド氏を副皇太子の座から皇太子に引き上げるために利用されたにもかかわらず、現在は空席の委員長に、拘束されたアハメド王子(国王の実弟)を推す動きがあったとも。
◆最重視される「忠誠の誓い」
これらはすべて憶測である。しかし、あらゆる未確認情報とウオッチャーの分析が示していることは、王子の数が1万人に達するといわれるサウド王家内にくすぶる不平不満が想像以上に大きく、ムハンマド皇太子はその拡大を恐れた、ということだろう。そうでなければ、既に退位させ、無力化した前皇太子らにさらなる懲罰を加える必要はないからだ。いわゆる「見せしめ」である。
中東を学ぶ者が1年目に必ず教えられるイスラム政治の仕組みに「バイア」(忠誠の誓い)がある。砂漠での進路であれ、部族間の抗争であれ、指導者がひとつ間違えると部族全体の命が危険にさらされる集団において、指導者への忠誠、服従は何より重要であり、集団の構成員すべてからこの「誓い」を受けた者だけが指導者として集団を率いる。この慣習は、イスラム以前からのアラビア半島の伝統的価値の踏襲に違いない。その誓いを、叔父のアハメド王子は皇太子に対して行っていなかったとか、皇太子が新型コロナウイルス対策としてメッカの聖モスクを閉鎖したことを批判した、と報じられている。
◆体制順応の行き着く先
最近知ったのだが、サウジの厳格なイスラム法解釈の中に、「マドハリ派」という宗派があり、指導者への絶対服従を神聖視している、という。この教義によれば、指導者がイスラム法上の罪を犯すような人物であっても、表立って批判してはならないのだ、という。この宗派そのものは決してサウジの主流でないが、こういった「体制順応型」の姿勢を美徳とする考えは、湾岸諸国の人々と接していて非常に根強いことを実感する。過去に、私が日本の政治制度や政策をよかれと思って批判すると、その都度、彼の国の政府高官や知識人にたしなめられたのだ。また、日本人の中にもこの価値観に共感する人は多いに違いない。昨今、政府・与党内にも「マドハリ派」は深く浸透しているかのようであるから。
ただ、この美徳の行き着く先は専制政治だ。賢帝による善政が行われているときは良いが、常にベストな政策選択が行われるとは言い難い。サウジは景気大後退の局面で原油増産を発表、1日で油価を30%暴落させる大博打に出た。「ビジョン2030」の柱であるサウジ・アラムコの株価は公開時の水準を下回った。サウジの内政は単に国内問題にあらず、世界の市場を震撼させている。