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東京は立候補取り下げを

猪瀬知事の信じられない発言はどうも事実のようであり、驚きを禁じ得ない。こういう発言が出るというのは、知事個人の責任もさることながら、それを許した都行政官、及び招致委員会幹部がいかにマヌケであるかという証拠である。行政官としてマヌケであるだけでなく、根本にあるのは、知事を筆頭に、関係者に全く国際性がないということだ。多少とも国際性のある人間なら、そういう言葉を発するということはおよそ考えられない。国際性、とは英語に訳せない日本語にしかない概念であるので説明すると、「内向きではなく、『日本人は世界の民族の一員として受け入れられ、協調し、相互に尊敬し、されながら生きていかなければならない宿命にある』という原則に立って行動すること」である。
このようなトップをいただく都民と日本国民もまた、国際性のない人種であることが暴露され、恥をかいた。その責任は私達自身にある(猪瀬知事に投票しなかったが、責任の一端は都民たる私にもある)。心ある日本国民は、自らの言葉でお詫びしなければならないだろう。
先日、私は初めてフィンランドの首都ヘルシンキを訪ね、国立博物館に行った。そこで見た古いフィルムはオリンピック・ヘルシンキ大会(1952年)の模様を映し出していた。旅を一緒にしているマアルマート協議会メンバーが「懐かしい、懐かしい」と言っている。私の生まれる前の大会だが、先輩にあたるメンバー諸氏はテレビや映画で子供の頃、見た映像だったのだ。、今も人口が500万人程度でしかない小国フィンランドでこのオリンピック大会は東京よりも前に開かれたのである。その事実を確認して嬉しかった。
オリンピックのような「平和の祭典」こそ、猪瀬知事のいう「けんかばかりしている」文化圏の人々には相応しい。2回目の開催をもぎ取ろうなどという行動は、奥ゆかしさで世界の尊敬を集めている日本民族にとって最も相応しくない行動だ。トルコは、決してイスラム圏を代表していないが、開催されれば、イスラム諸国のみならず、広く途上国、中進国の人々に希望を与えるだろう。どうせ東京は勝ち目がないのだから、今こそ、「譲る」という日本人の美徳を世界に示すべきだ。マヌケの我々の代表は、逆立ちしてもその決断はできないだろう。だからこそ、都民と国民が一丸となってその声を上げるべき時ではないか。私達日本人も成長すべき時である。それができるなら、これまでの招致委員会の使った税金は高くない。
(注:イスラム圏という言葉自体、非常に誤解を招く概念であり使うべきでない。トルコは、世俗主義の代表であり、人類の未来を代表する先進国だ。おそらく都の行政官の大半にその認識がないであろう。)

ボストンマラソン爆破事件

事件に巻き込まれて亡くなった方のご冥福と負傷された方々への心からのお見舞いに言及した上で、事件の持つ意味について取り敢えずコメントします。
平和の祭典とも言える市民マラソンのフィナーレを狙った凶行は、冷血で、非人道的、どのような理由があろうと世論の支持を得ることはできないと思われるが、仮にこれが中東系、イスラム系過激組織の犯行であったとすれば、それは古い水掛け論を再び俎上に載せることになるかもしれない。
シリアにおける暴力の応酬は、政府が市民を無差別にロケット弾で殺害するという「国家テロ」に、アルカーイダ系の「テロ組織」がサウジやカタール、そして欧米の支援を得て爆弾や軽火器で戦う、異常なものとなっている。その、反体制勢力側の劣勢をどうやって欧米が支援できるか、という議論が注目を浴びようとしているときの出来事である。
2001年、9.11事件が起きる以前からある伝統的なイスラム教徒の感情は、イスラム世界は欧米(キリスト教徒)の攻撃に晒されており、米国が実行していることはまさに「国家テロ」であり、これに対する自衛行為であるジハード(=武装闘争)は、テロでない、というものである。この認識に基づき、アルジャジーラをはじめとするアラビア語メディアは今日でも、明らかなテロ事件を報道するに際して、「テロ」と言わず「攻撃」という中立的表現を好んで使う。
唯一アッラーが世界の主であるという世界観の影響もあろうか、国家という組織による一定の秩序を認めたらがらないイスラム過激主義者にとっては、米国が今も中東のあちこちで起こしている残忍な「テロ」の方が問題であり、ボストンマラソンで無辜の市民に犠牲者が出ても止むを得ない、という論理になるだろう。これは、イラクで起きている無差別の爆弾テロにおいても同じ論理である。
米国が攻撃されなければならない理由はいくつもある。
1. イラク戦争から10年。正当な理由なく開始されたイラク戦争で死んだ多数の無辜の市民の無念を思えば、ボストン市民の痛みがどれほどのものだと言うのか?
2.米国が無人機によって続けているアフガニスタンやイエメンでのテロリスト狩りで殺されている無辜の市民に世界の同情や支援はあるのか?
3.米国が無制限の支援をしているイスラエルによる野蛮な爆撃で死んだガザ地区の多くの子供たちの無念を思えば、マラソンランナーの痛みがなんぼのものか?
(上記はテロリストがこう考えても不思議ではない、という意味でご紹介したのであって、筆者の意見ではありません。)
この事件が組織的犯罪であることは間違いなく、米国を再び対テロ戦争に引き摺り込もうとする勢力が背後にいるのだろう。シリア、イラク、イスラエル、イラン、アフガニスタン、アルカーイダ、北朝鮮、ブラックウオーター(米の民間傭兵部隊)など、さまざまな要素とイメージが頭をよぎる。