「国際問題」タグアーカイブ

サハラ砂漠の雪

アルジェリア南部、サハラ砂漠の真っ只中に住む知識人とFB(フェイスブック)で意見交換をしていましたら、突然、このような写真が送られてきました。
夏には日陰で気温が摂氏50度に達する灼熱の砂漠地帯に、これまで見たこともない雪、それも大雪が18日、降ったということです。写真は、アルジェリア南部のインサラ(I-n-Salah)に住む友人が、自分で撮った写真だということです。
この友人は、地球環境が如何に変化しているかの証拠だ、と言っています。また、雪を被ったなつめやしの木が心配ですが、農業専門家は影響はないだろうと言っている、と伝えてきました。
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国立にも同胞団

衝撃的な話をしよう。
日本とシリアの五輪代表がロンドン出場を賭けて熱戦を繰り広げた27日の夜、国立競技場のスタンドで、シリアの混乱を輸入したかのような「衝突」があった。この現場に偶々弊社の社員2人が居合わせた。ひとりは、問題の発生を受けて現場に事態収拾のために急行した主催者側で働いていた弊社通訳、もうひとりは、母国チームの応援のためにスタンドへ行き、まさにこの「衝突」に巻き込まれたシリア人社員であった。
2人の話を総合すると、概要、次のようなことがあった。
国歌演奏があり、さあいよいよ試合開始というとき、スタンドに現在は反政府勢力が団結のシンボルとして使用している「もうひとつの国旗」が揚がった。これを機にスタンドでは「体制派」「反体制派」の2派との間で、殴る蹴るなどの暴力沙汰となった。主催者側の警備員が割って入り、旗の掲揚などをやめさせたため、衝突がそれ以上激化することはなかった。しかし、反体制側と目される集団は、拡声器を使って政権打倒のスローガンや、体制派を誹謗中傷する言葉を浴びせ続け、試合の終了を待たずにどこかへ消え去った、というのである。
この「反体制」集団、奇妙なことにシリア人ではないらしい。エジプト人、アルジェリア人など非シリアのアラブ人のようであった、といい、また、見たことのない人たち(つまり、日本に在留しているアラブ人であれば、普段から顔見知りであるが、まるでこの日のために国外からやってきたのではないかと思われる人たち)であったという。大きな顎髭をたくわえ、一見して戦闘派とわかるこのイスラム過激主義者たちは、試合前、付近の駅前で目撃されていた。そのひとりは、「石や棍棒を持ったか?今夜は問題を起すんだ」とアラブ系の観客に手当り次第に話しかけていたいう。
つまり、この夜の「衝突」は、偶々居合わせた意見・政治主張の異なる2つの集団の間に自然発生したものではない。明らかに「反体制派」を自称するグループが計画的に起した混乱である。
別の言い方をすれば、新しい旗を掲げた人たちはそもそもその旗の下に結集する資格を有するシリア人ではなく、いわばその「応援団」だった。シリアの権力闘争を国外で応援しようという人々が、サッカーの応援という国際的に注目を集める可能性のある場所で問題を引き起こすことによって、国際的なメディア露出を画策した、ということのようだ。
「アラブの春」を人権問題、ましてや民主主義の問題としてだけ捉えると、判断を誤る。
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「新しい旗」の成功を望む気持ちはわかるが… (シリア国内でのデモ)

米・タリバン対話

さすが野口大使はブログ「中東の窓」で話題にされているが、英「タイムズ」紙が報じたという「カタールにタリバンの大使館設置。米が承認」のニュースは驚愕モノだ。
この報を伝えているalquds alarabi紙記事の要旨は次のとおり。
・米国は、カタールに今年末までにタリバンが政治事務所を開設する計画に青信号を出した。これは9.11事件10周年を経て、米国とタリバンが和解に向けて前進する上で大きな一歩だ。
・この措置により、タリバンと戦闘状態にある欧米各国も公式和平協議を開始することができ、10年越しの戦争終結が期待される。
・タリバン側は、行動の自由(要員の不逮捕の保障等)をカタールに求めているが、これが実現しそうである。カタールに白羽の矢があたったのは、パキスタンの影響力の及ばない地域で対話したい米の意向が背景にある。
・匿名外交筋は、事務所は「アフガニスタン・イスラム首長国」の大使館といった公館の地位を獲得するものではなく、政党事務所のようなものとなるとの予測を披露。
・米国とタリバンの事前秘密対話はカタールとドイツで行われていたが、その内容が漏れたため、崩壊した。対話の秘密保持は(特に米国にとって)大前提。
歴史は繰り返す。
小生がチュニジアで「アラファト番」をしていたとき、「米・PLO対話」が開始され、その数年後にオスロ合意が成立した。上記の話は、そのときの両者の立場、振る舞いにそっくりである。政治の行方は常に偶発的な事件によって左右されるため、年内とされるこの事務所の開設が絶対確実とまでは言えないが、このニュースが示唆している米・タリバンの対話は、近い将来間違いなく正式発表されて開始されるだろう。それは戦況の不利と、世界を震撼させている金融不安を前に明らかだ。アメリカという国の外交が、どれほど節操のないものか、よくわかる。

イエメンなんてどうでもいい!?

日曜日の午後、久しぶりに勉強モードでイエメンをおさらいした。それにしても日曜日の今日、このどうでもいい国に起きている大事件を伝える日本のメディアは皆無の様相だ。
もちろん、BBC(ネット)はトップニュースとして詳報している。田舎者のCNNはどうだろうかと見てみたら、何と「なぜ、イエメンに注目する必要があるのか?」という教育的な記事が目に止まった。地域情勢のコーナーでも大統領負傷のニュースを淡々と伝えている。
CNNはアメリカ人になぜイエメンが大事か、と言って、地政学的に戦略的な地位を占めていること、アルカーイダの故郷であることなどを挙げていたが、ほとんど説得力がなかった。私がイエメンに注目する理由は職業的な興味、と言ってしまえばそれまでだ。だから、我が国の人々が関心を持たないからといってそれをとやかく言う必要があるのか、ということになる。もし、日本人が田舎者のアメリカ以下でいてよい、という議論を受け入れるのであれば、だ。

日本、ガザ復興支援に70億円払う

アルジャジーラの報道によると、今般日本政府はガザ地区復興支援のために貢献を約束していた約850万ドルの支払いを完了した旨、現地事務所(大使館の支店のようなものです)所長が、ファイヤード首相、EU代表とともに共同記者会見して明らかにした由。
約束しても、支払わない国々が多い中、日本がきちんとパレスチナ支援にコミットしている姿勢を示すことは大変重要です。
かつて、日本外交には広報姿勢、というより、広報マインドが全くなく、巨額の支援をしても、それが世界はおろか、支援されている国民にすら知らされるということがありませんでした。この観点から、このような情報発信努力をされていると聞くことで、日本外交(官僚組織)には、多少なりとも漸進がある。ベストでないにせよ、望ましい形を追求して仕事をされている、と感じました。
他方、この報道を聞いて一番強く感じたことは、日本円にして約70億円の国のお金が震災被災者ではなく、パレスチナの人々に援助される、ということへの違和感です。
対外援助と国内投資、ないしは社会保障問題を同列に論ずるべきではないのかもしれません。しかし、そのような思考方法こそ、縦割り行政を是認してきた官僚主義的考えかもしれません。
日本は今、未曾有の自然災害に見舞われ、政府は被災者に十分な手当をすることもできず、また、被災した原発の制御ができず、世界に不安感を与えています。これが我が国の現実の姿です。「他人を援助している場合か?」と
思ってしまうのです。
私は、民主党が政権に就く前に主張した「政治主導」という言葉に惹かれ、政権交代を願った者のひとりですが、「腰砕け」どころか、そもそも政治主導の意味も分からず、固い決意もなければ、実行能力もなかった彼らに深く失望しました。
この事例で言えば、日本の政治家であれば、「パレスチナに支援する前にそのお金をまず被災地に回そうではないか」と言うべきではないでしょうか。東北の被災地には、パレスチナの人々以上に困っているわが同胞がおり、われわれ被災していない国民も、耐乏生活の準備をしているのです。
実際にはそのお金はパレスチナで困っている人たちのために支払うことになるとしても、「福島で困っている人も、パレスチナで困っている人も同じだ。私たちはパレスチナ人を助けるので、皆さんは福島の人々に支援の気持ちを送ってほしい」と、アラブ産油国や、パレスチナ支援に関係する当事国に言うべきです。ただ、支援するだけでなく、本来パレスチナ人を支援すべき立場にあるアラブ諸国から、70億円以上の我が国に対する支援を確保すべきなのです。そういうことができる、ということが「政治主導」の本来の意味ではないでしょうか。
(なお、ガザ地区が破壊されたのは天災ではありません。イスラエルがしなくてもいい爆撃で破壊の限りを尽くしたのです。本来、罰せられ、支援金(=賠償金)を払うべきなのに、知らん顔をするどころか、米国から多額の援助をもらっているイスラエルも当事者である、ということを言及しておきたいと思います。被災地には、イスラエル軍の初動鮮やかな緊急医療支援があったことに深い感謝の気持ちを表するとともに、です。)

ビンラディンの死(その3)

私は現在もキリスト教徒の地を旅行中で、短時間ネットを覗きテレビを見る程度で多くのソースに接することがない。このため、引き続きとりあえずの感想である。
オバマ発表を聞いた直後に書いた私のコメント(2つ前)は、どうやら大いに時代遅れであったらしい。
もちろん、そのように感じたのだからそれはあるひとつの見方であり、かなりの比率で同じように感じたアラブ人、イスラム教徒、研究者がいたに違いない。
しかし、これまでの国際衛星テレビニュースやアラビア語紙の反応を概観する限り、ビンラディンはもはや、その価値を失ってしまっている。穏健な大多数のイスラム教徒は、もともと過激なイスラム・テロに辟易していたし、アメリカの対中東侵略を正当化するためだけに存在していたかのようなビンラディンとアルカーイダに反発していた。そこに民衆蜂起による政権転覆がチュニジア、エジプトで起き、人々は「やればできる」と自信をつけている。アジるだけアジり、自分は民家に籠り一夫多妻で16人もの子を設けて隠遁生活を送っていた男など、「アラブの反乱」の旗印にふさわしいと誰が思うであろうか。
一方、過激主義者(弟子たち)からはハンで押したような追悼復讐声明が出ているが、それを額面通りに受け取ることもあるまい。もちろん、テロ作戦決行の動機は十分与えられたわけだから、小規模なテロが起きる危険は急激に増したと思われるも、大規模テロを起すだけの能力のある組織が育ち、その分子に十分な庇護と資金が与えられている状況があるのだろうか。小生としては否定的に見ている。
とすれば、ビンラディンの死は、少なくともイスラム側には何の変化ももたらさなかった、と言ってよいだろう。

ビンラディンの死(その2)

単なる個人的感想です。
イスラマバード近郊に潜伏していた、というのは予想を大きく外れるものではなかったが、もっと市内の、人混みの中に紛れているのではないかと思っていた。いずれにしても、そのような場所に居ながら、なぜその足跡が10年間も分からなかったのか、という点が大いに疑問となる。(米は)あえて10年間泳がせていたが、今死んでもらうのが都合がよい、ということで消されたのではないか。
オバマ演説については別記事に書いたとおり、米国のテロ戦争を一方的に賛美した内容が各方面の反発を招くだろうと思う。しかし、率直な感想として、この演説にはしびれた。支持率を相当上げるだろう。管総理に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

ビンラディンの死

オバマ大統領の公式声明によって、米国がイスラマバードでビンラディンの隠れ家を発見、襲撃し、同人を殺害したことが事実であることが明らかになった。遺体は米側が確保しているとのこと。
オバマ大統領は、ビンラディンが9.11事件の首謀者であり、数千人の無辜の命を奪ったこの人物に法の裁きを下したと強調した。また、テロとの戦いは、米が望んだものではなく、一方的にテロリストの側から仕掛けられたものだとも述べた。そして米国とその国民がイスラムそのもののに敵対しているのではないと付言することを忘れなかった。
しかし、大多数の穏健なイスラム教徒ですら、この論理をそのまま受け入れることはできない。まして、首領の首をとられた過激な人々の心情はどうであろうか。
アルカーイダという亡霊が跋扈した背景には、米国の対中東政策のひずみがある。そのことへの反省を大統領が語り、具体的な措置がとられるまで、サラフィー主義者であれ、その他の思想の者であれ、イスラム教徒からの加害行為は止むことがないだろう。
新たなテロを警戒しなければならない。
(旅先のウクライナ・キエフにて)

エネルギー問題!

通訳者、翻訳者という仕事は時間を切り売りする商売で、自ら制約を課さない限り、プライベートな時間、ましてや読書や趣味にいそしむ時間というのも失くしてしまいがちです。特に、その元締めとしてお客様を相手にしておりますと、まったく自由になる時間がありません。
そんな立場を言い訳に、私はあまり読書を得意としない人間です。
ただ、そんな私も、今、常にかばんに忍ばせ、小脇に抱えて、数分の電車の中や人を待つ時間を活用してまで没頭している本があります。それがタイトルのエネルギー問題を概観した新刊です。
私は、エネルギーのことがほとんど何もわかっていませんでしたが、日経産業新聞にピエール・シャマスのエネルギー記事コラムの翻訳を投稿する仕事をしていました。それは私が通訳翻訳者、ビジネスマンとして独立するのと同時に始まり、つい最近まで約15年間も続きました。その間、私はつくづく自分と、そして日本の社会そのものが、エネルギーをめぐる事情に無知であり、かつ、もっとひどいことに、無関心でいてそれでよいという風潮があることに憤りを感じていました。そして、何とかエネルギーのことを多少なりとも勉強できる機会が持てないか、と考えていたところへ、勉強会に参加しないかとお誘いをいただいたのがかれこれ10年ぐらい前、日本のエネルギー業界や学界の現役・OBによる月1回の「エネルギー勉強会」の末席で貴重なお話を伺う機会に恵まれたのです。
「エネルギー問題!」は、そんな勉強会の重鎮、松井賢一さん(国際エネルギーアナリスト、(財)エネ研参与)が書き下ろし、ご親切にも小生のような若輩者にお贈り下さった本です。(NTT出版)
非常にわかりやすい文体で、著者いわく「ラジオ番組で語りかけるような」話は素人の私にもすんなりと入ってきます。それでいて、この本の扱っている基本知識は、本当に目から鱗がとれるようなことばかりです。逆説すれば、何でこんなことも知らないでエネルギーがどうのこうのと議論していたのだろう、と自分が恥ずかしくなることしきりです。この記事を読んでくださった方に、自信を持ってお勧めできる大著です。
エネルギーにはさまざまな切り口があり、さまざまなバックグラウンドの人が口を挟みます。それでいて、エネルギーは「みんなのもの」であり、人間誰ひとりとしてエネルギーなくして生きることができません。私は、中東政治の切り口からエネルギーを考えるようになりました。多くの人は、環境保護の必要性からエネルギーに口を出します。しかし、そういう私たちにとって決定的に欠けているのは、正しい科学技術知識に基づく体系的な視点だ、ということを教わりました。松井先生、本当に良い本をありがとうございました。