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エネルギーはみんなのもの(とりあえずの結び)

「義憤に駆られて」という言葉が大流行の2011年かも知れません。
「無策」ならまだしも、確実に国を滅ぼす方向に向いた政策をゴリ押しする菅・民主党政権の動きに驚愕し、恐怖を感じ、はからずも思うところを書き始めたら連載になってしまいました。しかし百家争鳴、いろいろな方から、いろいろな義憤が噴出していますので、偶々このブログを読んで下さった方は、ひとつの意見として、参考にしていただければ幸いです。
「外交力のなさ」と「エネルギー戦略のなさ」…。この2つは、我が国に特徴的かつ致命的な欠点であり、そのためわが国は戦争に追いやられ、破産し、70有余年、その根本的原因だった問題は棚上げしてひたすら生活に追われてきました。これが、1980年代終わり、「名目世界第二位の経済大国」と言われた瞬間に転落を始めた日本の紛れもない姿だと思います。この思いは、私が「湾岸戦争の敗北の責任を取って外務省を辞職」の決意をした20年前から、強くなることはあっても、弱まるところを知りません。
今般の震災と、その被害を何百倍にも増幅することになった民主党政治の大失態で、日本は新たな終戦を迎えたのでしょうか。それとも、関東大震災から第二次世界大戦へと向かった暗い時代の二の舞を演じるのでしょうか。今度こそ、カミカゼをアテにするのではなく、着実に、忍耐強く立ち向かっていかなければなりません。そのためには、外交力、戦略的思考力、情報処理能力、政策構想力といった資質を有するリーダー達にこの国のかじ取りを任せなければなりません。もちろん、そのようなリーダーを戴くには、国民ひとりひとりが意識を高め、とりわけマスメディアにおいては国を憂う「健全なナショナリズム」に根差した報道で世論を牽引していかなければならないでしょう。
我が国のエネルギー危機を救って行くには、まず炭化水素資源へ依存している現実から目をそらしてはなりません。然るに、8月26日は近年稀にみる暗黒の日でした。総理は「辞世会見」を行いましたが、その中で電力供給を滅茶苦茶にして、どれだけ多くの人に不必要な苦しみを増やしてしまったかという責任を認識しないどころか、「脱原発の原理主義を実践したぞ」といわんばかりの開き直り。もっとひどいのは、この狂人をやめさせることと引き換えに、という信じられない論理で「全量買取法案」が何と参院全会一致(ひとりの反対も棄権もなし!!!)で可決成立したことでした。「良識の府」は全く機能していません。賛成票を投じた全参議院議員、ひとりひとりの不見識(*)に対し、私は「満身の怒りを表明致します。」(!!!)
炭化水素資源(原油、ガス)は、なぜか地球上に偏在しています。一方で、天は日本人に優秀な頭脳と勤勉な性格を与え、この資源を100%輸入しても余りあるだけの外貨を獲得できる技術力、生産力をつけさせました。砂漠の国で、なつめやしの実とヤギの乳だけで摂氏50度の暑さを凌いで暮らしていた人々は、石油を売り、日本製のクーラーとトヨタの高級車を買って快適な生活ができるようになりました。しかし、増え続ける若者に与える職がなく、教育が十分に行えず、近隣の兄弟国で相次ぐ「革命」が飛び火する恐怖におののいています。その中では最も安定している(?)と思われているサウジ、UAEの2か国に日本はその消費量の半分以上の原油を頼っています。この2国の輸出停止が起きたら、日本の電力はどうなるでしょうか。
産油国と日本は、このように戦略上非常に重要なパートナーであるにもかかわらず、我が国の側においては、政府、メディア、国民のあらゆるレベルにおいて意識が低い、極めて低い、というのが現状です。「馬の耳に念仏」となりますので、これ以上の議論を終わります。
(*)このことを問題とせず、民主党のどうでもよい政争の報道に明け暮れているメディアの不見識の害たるや言うに及ばず。

放射線と生きる(取材メモ)2

23日は、「福島原発行動隊」の皆さんの「福島へ行こう!」と題した1日ボランティアに同行させていただき取材しました。目的地のいわき市久之浜の状況です。福島第一原発から29km地点の津波被災地は、がれきこそほぼ片付けられていましたが、未だ破壊撤去希望の家屋が転々と残っていました。賑やかであった集落を形成していた家屋は跡形もなく、基礎部分だけが残る光景は、テレビで見るその他の津波被災地と同じです。
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作業現場に向かうボランティアの人たち。多くは福島原発行動隊登録の年配の技術者ですが、趣旨に賛同した若い方々も目につきました。
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瓦礫はほぼ片付いているようでしたが、避難準備区域内とあって伸び放題に伸びた雑草が生活道路を完全に塞いでいました。この日の作業は一日中、草を刈って道路を復旧させる作業となりました。埼玉から参加された写真の女性は「都会でのほほんと生活しているだけではいたたまれない」という気持ちで志願した、ということでした。
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広島県出身の写真の男性は、福島第一における線量の高い場所での作業を志願されている電気の専門家です。「若い人にそれをさせるのは気の毒だ。」「自分たちの先は限られているから」とおっしゃっていました。
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この日の取材は東京駅前の出発から到着、作業、参加者インタビューまで行いました。「見えない悪魔と闘う人たち」(仮題)というアラビア語のドキュメンタリーを制作します。それ用の映像ですが、その他の目的にご利用になりたい方はどうぞお尋ね下さい。

放射線と生きる(取材メモ)

8月21日、福島県川内村や富岡町の人々が避難している郡山市の郡山ビッグパレットでペットの健診、健康相談会が開かれ、ビデオ取材に行ってきました。写真はその風景です。
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お話を伺ったきくざきペットクリニックの菊崎先生によると、「避難の際に多くのペットが捨てられたというような間違った認識がある」とのことで、「住民は、『とりあえず避難してくれ』と言われ、2,3日もすれば帰宅できると思い込んで家を出た人がほとんどだった。バスや避難先に動物を連れていけない、ということでやむなく餌と水を多めに置いて家を後にしたのです」と強調されていました。警戒区域内のペットについても獣医師会の献身的な取り組みが奏功して厚い保護措置が取られ、多くが救出されています。飼い主探し、里親探しの努力は今も続けられている、ということです。
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ビッグパレットへの道すがら、JR郡山駅前で放射線量を計測している方がおられ、その方のお話を伺ったり実際の計測を取材させていただきました。通常の環境線量は0.3μシーベルト前後でしたが、写真の位置にはいわゆる「ホットスポット」があり(雨水の流れ込む場所でした)、4.0μシーベルトを超える瞬間もありました。

エネルギーはみんなのもの(5の2)

「エネルギーはみんなのもの」ということについて、今一度考えてもらいたい、と思う。
私達日本人は、電気やガソリンをあたかも水や空気のようにいつでもどこでもあるものと考えて、いや、考えることもなく利用してきた。確かにそれは水や空気のように無くてはならないものである。電気が停まれば、私達の生活は一時たりとも成り立たない。しかし、それが水や空気と違うのは、稀少であってコストが高いこと、そして悲しいかな、日本には非常に少ないため、そのほとんどを輸入に頼っていることである。
また、ムバラク氏が糾弾されるのも、ティモシェンコさんが逮捕されたのも、その底流にあることは資源(ここでは天然ガス)は公共財、みんなのものだ、という当たり前の認識である。この認識において日本は途上国たるエジプトやウクライナよりはるかに遅れている、と言えないだろうか。
「いや、そんなことはありません」という主張もあるだろう。稀少な公共財だからこそ、その効率的調達は「おかみ」に任せていたのだ。日本人が江戸時代以来身に付けた、社会的調和を保つことのできるよい習慣である。電力会社は一応民間企業という形は取っているが、その実態はおかみの一部であり、地方においては県知事よりも権力がある、ということを言う人もいる。中央においても、東電の会長は経団連の副会長未満の待遇を受けることはなかった。それは、公共財たる電力を立派に国民全体に安定供給、効率的供給する上で、エリート集団による采配がベストと我が国社会が考え、実行してきたからであろう。
私は、そのこと自体はそれほど間違った選択でなかっただろうと思う。なぜなら、そうでない選択をした場合の長所、短所ということを常に比較しなければならないからだ。どの世界にもどの時代にも、あるひとつの制度・政策は、かならず良い面と悪い面があり、すべてOK、ということは有り得ないのである。数ある選択肢の中で、最も効果的で、最も害の少ないものを選ぶ他はない。
さて、我が国は今、かつてなく、またどこの国よりも、電力のみなもとである炭化水素資源を安く・かつ安定的に調達しなければならない、という国運を賭けた命題に直面している。この時において、従来どおり電力料金に転嫁すればよいから、という態度で電力会社に高い石油やガスを買ってもらいたいとは思えないし、もはや許すべきではないと思う。このことを放置すると、どういうことになるかは前稿でも述べたつもりだ。
ならば、なぜエジプトやウクライナのように刑事罰で縛ろうとしないのか。極論と言われると思うが、「石油・ガスを国際標準価格以上で購入した者は無期懲役」という法律があれば、交渉に臨むおかみの態度は少しは真剣なものとなるだろう。またそれは同時に、高値を期待している産油国側に対するバーゲニング・パワーともなる。相手が高値を飲む可能性はないからである。
こう言うと、そんなことをしたら、日本は石油を一滴も輸入できず、電気も失われてしまう、という悲観論を述べる人も出てこよう。私は、絶対そうはならないと思うが、なるかどうかは、やってみなければわからない、というのが妥当な結論ではないだろうか。現状は、やりもしないで、言葉は悪いが「産油国の言いなり」になっている、というのが実態である。
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     クウェートのサバーハ首長「日本の復興に参加させてもらった」
     (写真は駐日クウェート大使館HPより)
サバーハ首長は、震災の報を聞き、日本に対し500万バレルの原油を義援金代わりに贈ることを決定、この引渡しは既に順次始まっている。500万バレルとは、金額にすると×100ドルで5億ドル(約400億円)になる。日本の現在の1日の原油消費量は推定約450万バレルなので、1日強、というところだが、クウェートの国家収入の大部分は原油販売代金でありその1日の生産量は約250万バレル。ということは、首長は2日分の国家の収入を全部日本にくれた、ということになる。これは決してケチな支援でない。
写真に付け加えた首長の言葉は先日小池百合子元防衛相が首長を訪問して会見し、お礼を述べられた際、先方が語った言葉として報じられたものだ。私は、オタイバ駐日大使が、「クウェート解放(湾岸戦争)のときの日本の支援に対する感謝の印」と表現されたのを聞いている。
このように、日本はひとりではない。世界に支えられている。日本の工業製品が湾岸産油国の発展と日常生活を支え、彼らの輸出するエネルギー資源が私達の生活を支えている。この互恵の関係を考えるとき、困っているときはお互い様と、協力し合う関係、し合える関係を作って来たし、これを強化しなければならない。
また、100年に一度、500年に一度という大災害が起きたのだから、そのときは素直に「助けて下さい」と友人に頭を下げることも大切だろう。
私の主張は、義援金もありがたいが、アジアの一番の友人である湾岸産油国には、今後3年間、あるいは復興のめどがつくまで、石油を2ドル安く売って欲しいとお願いすることだ。言ってみれば100円のトマトを98円で売ってくれないか、というお願いである。2ドル安くなると、日本全体では1日あたり900万ドル、7.2億円助かる。これは1年で2628億円、3年間では7884億円日本経済を助ける。天然ガスも同じように2%下げてもらえないだろうか。日本経済は兆の単位で助かり、その効果は結果として湾岸諸国に還元されるということを各国の王様は良く知っている。喜んで協力しよう、と言ってくれるだろう。
このことに私は確信がある。

エネルギーはみんなのもの(4の3)

牧山ひろえ参議院議員の取り組み
前稿で、国会議員の先生方へのお願い、として福島第一をはじめとする原発作業の適正化についての国の介入の必要性を指摘いたしましたが、当方と全く同じ認識を持って行動され、質問されておられる先生がいらっしゃることをFBで教えていただきました。このような議員の存在を、ましてや、議員が支援されているボランティア集団(「福島原発行動隊」)の存在を日本人のひとりとして心から誇りに思います。政府はあらゆる抵抗を抑えて、日本を救っていただけるようお願いしたいと思います。メディアの皆さんは、この問題の本質を報道して頂きたいと思います。
牧山議員の参院内閣委における質問(7月26日)

エネルギーはみんなのもの(5)

にわかエネルギー評論家の間で最近人気といえば「コンバインド・サイクル」がある。天然ガスを燃料とする発電方式で、ガスタービンを回す際の高温で蒸気を作り、蒸気タービンも回してその熱エネルギーが電気に変わるため、効率がいい。いわば、ハイブリッド車・プリウスの発電所版のようなものだ。
ソフトバンクの孫さんもこれがお気に入りらしく、最近話題になったネット対談で富山の石炭火力をガス発電に変えたら「発電容量が1.6倍になった」として、「私は一刻も早く石炭火力は、LNGのコンバインドサイクル(発電)とかそういうものに置き換えるべきだと思います」と発言している。
コンバインド・サイクルが実用化したのは何十年も前のことで、当然その効率性ゆえ各電力会社は順次導入している。原発事故があったからにわかにどうこう、という話ではない。問題なのはその燃料であるLNGの入手可能性だ。世界の火力が依然、大部分石炭に依存していて、日本でも20%以上残っているという背景には「資源調達の可能性」という、我が国最難関の課題が横たわっている。石炭は世界中で採れ、価格面で優等生なのである。
このように言うと私が天然ガスを否定していると思われるかもしれないが、そうではない。天然ガス、とりわけLNGには愛着がある。LNGは、ガスをパイプラインで輸入することの難しい日本が「産み育てた資源」である。私は偶々、カタールでその資源が生まれる際の「産みの苦しみ」を目撃した。そしてそれから約10年を経て、カタールからの「初荷」が中部電力川越火力発電所で燃やされるために四日市港へ入港するというその日にカタールの記者と万感の思いで取材した。確か1997年頃のことだ。LNGはクリーンなエネルギーであり、その利用促進は(再生可能エネルギーや原発とは比較にならないが)環境負荷を軽減する。
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     川越火力発電所は世界最大級の発電能力を誇る
前置きが長くなったが、最近、ガスの取引をめぐって2つの興味深い「犯罪」が報じられている。ひとつはこのブログでも話題にしているエジプトのムバラク大統領で、エジプトのガスをイスラエルに「不当に安く」売り、国家に損害を与えた、という嫌疑がかけられている。もう一つは、ウクライナの「美人すぎる元首相」ティモシェンコさんで、ロシアの天然ガスを「不当に高い」価格で買う契約を結んで、やっぱり国家に損害を与えた、というものだ。これらの取引で「得した方」のイスラエルとロシアは「犯罪者」にひどく同情的だ。特にロシアは、あからさまに支援しているヤヌコビッチ政権の、ティモシェンコ氏は最大の政敵であるにもかかわらず、「取引は正当」として、同元首相逮捕に強く反対しているという。それほどまでに、ガスの値段を1ドル上げる、下げる、ということは大問題なのである。
翻って、我が国の場合はどうか。
報道によると、我が国の電力会社等は国際価格のほぼ2倍近い価格でLNGを引き取っているということだ。なぜそういうことが起きるのか、にわか評論家のひとりである小生はここに十分なメカニズムを展開することができない。しかし、公務員制度改革を主張している経産省の古賀氏が言うように、「経費はすべて電力料金に転嫁できるため、値切る必要がない」という我が国の電力供給システムの構造上の問題である可能性が濃厚だ。そしてこれは、ガスだけにとどまらず、石油についても同じ構造となっている。アジアプレミアムと呼ばれる高値買いの慣行がずっと続いていることと、電力料金の決定システムは無関係でない。
電力会社の弱腰を糾弾してみたところで、産油(ガス)国側が足元を見てふっかけてきたら対策の仕様がないのでは?というご意見にはこう答えよう。イスラエルは賄賂と外交力を使って安値を勝ち取った。日本は賄賂を使う必要はないが、正攻法で十分できるのでは?ウクライナでは、高値買いした首相は逮捕された。日本では誰も逮捕されない。それでいいのだろうか。損害は、日本国民全体でニコニコ払いすればよい、ということでいいのだろうか。
それでもうまく行っていた時代があった。しかし、今はそうではない。原発の停止で化石燃料への依存度が上がっている。これだけでも電気料金は上がる。その上に福島第一の賠償を国民が負担しなければならない。このことでも電気料金は上がる。我が国が復興を遂げるには、燃料の輸入価格を下げることがどうしても必要だ。どうしたらいいか。この先の議論は稿を変えることとしよう。

エネルギーはみんなのもの(4の2)

前稿で「原発作業員はヒーロー」ということに言及しました。
しかし、そこには日本社会が全体として触れようとしなかったタブーがありました。国も電力会社も、そしてマスメディアも、みんな知っていながら、この問題の解決に取り組もうとはしませんでした。これからも放置するのでしょうか。
私がこのことを言うのは、福島第一原発を安全に冷温停止させ、放射線源を完全に封じ込めなければ、福島県の未来も日本の未来もない。それほど大事な仕事だから、日本国民は、英知を結集してそのことに当たらなければならない、と思うからです。今は比較的順調に作業が進んでいる、という大本営発表を聞いて安心していますが、まだ安心できる状態は程遠い、ということのようでもあります。この問題の解決には、日本の最先端の技術と努力が傾注されなければならないはずです。
ところが、現場の実態は、途上国でもここまでひどいことはしない、非道なことはしないということが堂々と行われているようです。そして、事故後の今も、その状況は放置されている上、その改善を求める国民的な声は上がっておりません。
このことは断片的に、過去繰り返し伝えられた記憶はあります。しかし、改めて次の2つのレポートを読むと、愕然と致します。
原発の炉心に「飛び込む特攻隊」「被曝要員」として使い捨てられる下請け労働者
ピンハネ率93%・核燃料プールに潜る外国人労働者-重層的下請構造で使い捨てられる福島原発労働者
1.最近当ブログは、国会議員の先生方にもご参照いただいているらしいので、立法行政府に対しては次のようなお願いをしておきたいと思います。
国民の命と国益の最優先事項を守る最前線であらゆる法令違反が放置され、非道な労働慣行がまかり通っているようです。原発の国有化、ないしは特別法の制定、といった国家の強権でこの状態を正常化するよう、直ちに行動していただけますよう。民間の事業として任せ放しにしておくのでは、おそらく改善できないでしょう。
2.我が国が戦後、豊かな社会を実現できたのには、民主的な労働組合運動の大きな寄与がありました。「連合」加盟700万人の労働者の皆さん。今こそ、真に労働者の団結と連帯を示して、この問題の解決に取り組むよう、行動を起こして下さい。皆さんの支持する民主党政権を通じて、この問題を解決しようではありませんか。もちろん、共産党系組合の方々も力を合わせて頂きたいものです。
3.「脱原発」を唱える人こそ、よりこの問題の解決に関心を持たなければなりません。太陽電池パネルを田んぼにどれほど並べても、原発は無くならないのです。日本全国いっぱいある原発をなくすためには、また、中国韓国含め、世界中に林立している原発を廃止するには、その廃止の作業、核廃棄物☢の処分を安全に進めていく技術と作業員が必要なのです。マスメディアはこのことを啓蒙しなければならないのではないでしょうか。

エネルギーはみんなのもの(4)

「福島第一原発できょうも事故処理・対策のために、猛暑と高線量の中、暑い防護服に身を包み、献身的な作業をして下さっている東京電力と関連企業の皆様!皆様こそ、真の英雄です。最大の敬意を表すると共に作業の安全とご健康を心からお祈り申し上げます。皆様のご貢献なくして、日本の明日はありませんし、私たちの今がありません。ありがとうございます。常に感謝の念を忘れず、私たちもまた、事故からの復旧復興に向け、全力を挙げて一致協力致します!!」
<原発事故の責任と処罰そして賠償>
3.11、震災が発生し、太平洋岸の原発に被害が及んでいる、と聞いたとき、なぜそんな危険なところに原発があるのかと首をかしげたのは小生だけではないと思う。夏休みの今、太平洋岸の海水浴場へ行く人は誰でも気づくだろう。「津波がきます」の看板、避難手順を示す看板は日本の太平洋岸には必ずある。それは、北海道から沖縄まで、我が国は津波の襲来から逃げ出すことはできない宿命を背負っているからである。そんなことは小学生でも知っているのに、一度建設したら50年は動かすことのできない原発をどうして波打ち際に建てたのか?不思議でならなかった。日本の原発はみな海岸縁にある、ということは漠然と認識していた。しかし、「地震と津波対策は万全」と聞いていたので、まさか津波をかぶるようなところに原発があるとは考えてもみなかった。
事故後の報道で明らかになってきたことは、福島第一の場合、建設当初は津波そのものを想定していなかった、ということらしい。それは何でも…ということで完成後に津波高想定を1.5m嵩上げしたが、立地場所の標高が10mあるということで問題なし、とした。しかし実際には15mの波が来て、GEの設計をそのまま受け入れたため地下にあった電源室は水浸しになったということらしい。これが天災?
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   (どうして、もう少しましな建て方が出来なかったのか ©google航空写真)
初めから、危険極まりない発電所を作り、その後は責任逃れのため安全、安全と言いくるめてきただけではなかったのだろうか?その時の責任者が小学生以下の知能しか持ち合わせていなかったなどということはないのであって、全員が、故意にウソをついてきたのは明らかだ。その後建設された福島第二とか女川はどちらも高さがあったので水没を免れている。これは単に偶然なのだろうか、それとも、福島第一についてはウソをついた人々にも良心があって、新しい方については津波を考慮したということなのだろうか。
検察はなぜ動かないのか?そんな古い話は全部時効なのだろうか。適切に処罰する法律はなくても、適用可能な刑事罰はなお存在するのではないか?メディアは、なぜ責任追求ののろしを挙げないのか???国民は、なぜこんなおかしな話はない、と怒らないのか?そして国会はなぜ調査権を発動しないのか。話題にすらならないのはどうしたことか。
逆に言えば、官邸主導で設置された事故調査検証委員会なる機関が極めてあいまいな法的性格しか有さず、「年内に中間報告、事故処理が一段落したころに100年の評価に耐える報告を出します」といった極めて悠長な仕事の仕方で動き出していることをなぜ問題視しないのだろうか。そんな中で、賠償問題とその支払いは待ったなしである。
「責任の所在はわかりませんが、東電が汚したことに間違いはないので賠償します」「しかし東電を潰すわけにはいかないので、国民みんなで賠償します」そういうことなのだろうか。この国はどこかおかしい。
おかしい、と言えば、冒頭に掲げた福島第一の技術者・作業員の皆さんへのメッセージは、本来、毎朝の新聞の片隅にでも出てよいし、テレビ番組がこの文言で始まり、終わってもいい筈なのに、皆で知らん顔をしている。これはあまりにおかしいのではないか、少なくとも小社のHPには冒頭に掲げようではないか、といった議論を社内でした。この関連で言って最も奇妙な我が国の世論の特色は、「東電が悪い」「経産が悪い」「保安院が悪い」という組織名での議論となり、あたかもその組織に属する者がみんな悪いように扱うことである。
東電で、何の責任もないのに命を賭して作業をしてくださっている方、家族サービスも顧みず、給与ダウンも仕方ないと受け入れて深夜早朝残業して下さっている社員の方は全く悪くないどころか、国民は決して足を向けて眠ってはいけない人たちである。ひとつの組織に、犯罪者と救世主が同居しているのだ。それは人がどうこう、というより、「犯罪行為」「職務上の義務的行為」「人道上の崇高な献身」といった行為が入り交じっているのであるから、人を憎むのではなく、犯罪行為、不道徳な行為、怠惰な行為を憎み、取り締まっていくべきである。
長文となってしまったが、本稿(4)の結論である。われわれ日本国民は、明白な人災を引き起こした犯罪者の責任追求、断罪を要求し、一方で事故の終息、除染・復旧のために団結協働し、被害者救済とエネルギー安定供給の2つのミッションを同時に背負った東電の後ろ盾となって困難を克服して行かなくてはならない。エネルギーはみんなのもの。「東電が悪いんだから、国が悪いんだから、俺は払わない…」そんなバカげた議論が一部メディアや前出「原理主義」の人々の間で大手を振って闊歩している。国のリーダーは、良識あるメディアは、そういう人を諭して行かなければならない。

エネルギーはみんなのもの(3)

「再生エネルギー」原理主義…、「原発反対という」原理主義
読売新聞コラム「編集手帳」(6月17日付=写真)を読んで、「これは復古主義であるという点において、イスラム過激主義と非常に良く似ている」と思うことがありました。ちょうど、大学にイスラム文化論の講義に向かっていた車中で読んだから気づいたのかも知れません。
「夜になったら(電気をつけず)眠ればよい」、「夜が暗くて危なければ、仕事にいかなければよい」といった『暴論』を、編集手帳子は「『従う』、『却下する』の他に『トゲとして胸に刺しておく』という応接もある」と随分と慎重な言い回しをしています。悲惨な原発事故に見舞われた我が国においては、そのような『暴論』さえも、広く支持を得そうな気配の中で、随分と悩まれたのではないでしょうか。この記事からはや1ヵ月半経ち、実際に原発停止と電力供給の問題がクローズアップされる中で、世論には多少の変化はあるようですが、今も「原発=悪」「自然エネルギー=善」という思考停止的感情論が大手を振って歩き回っていることに変わりはないでしょう。
さて、世界的な課題であるイスラム過激主義(原理主義、復興主義とも呼ぶ)をどう捉えるか、ということについては、極めて短く言えば「社会の停滞は宗教が正しく実践されていないことが原因であると考え、過去の優れたイスラム社会の慣行に立ち返ろうとする」運動である、と定義づけることが可能でしょう。この考え方と「暗くなれば寝ればよい」という自然主義(?)は、「時計の針を戻すと良いことがある」という復古主義の共通項で括ることができるという点で似ているな、と思った次第です。
復古主義は、すべての民族が、歴史の様々な場面において繰り返し陥る「罠」のようなものだと思います。その響きは甘く、また一見非常に正しく、究極の問題解決がそこにあるかの如き錯覚をもたらします。しかし、実際にそれが上手く行ったためしはありません。なぜでしょうか。
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それは、復古主義が人間の本質、人間社会の現実に反しているからです。
『暴論』として「夜になったら寝る」生活を例示されましたので非常にわかり易いのですが、仮に日本中が電気のない生活を始めるとしたら、あるいは始めなければならなくなったとしたら、どういうことが起こるでしょうか。現代社会を支えている経済活動のほとんどが失われ、人口は10分の1とか20分の1とかに激減するでしょう。そのような社会が仮に理想であったとしても、今の生活があり、明日に希望を持って生きていたいと願う人間はそれを受け入れることができないでしょう。
こういう議論をすると、「いや自分は10人中の9人のうちのひとりとして死んで行って本望だ。きれいな地球を子孫に残すのだ」という主張をする人が必ず出ます。しかし、もし実際にそういうことが起きたら、ええ、つまり、「自然主義」の政党だか運動だかが日本を支配して発電所を全部止めてしまったら、「自分が率先して死ぬ」と言っていた人がしぶとく生き残ろうとし、反対論者を追放し、死に追いやるということが起きるでしょう。そんなバカな話は起らないだろう、と読者は思うでしょうし、私もそう思いたいのですが、具体例はあえて上げませんが、イスラム原理主義、イスラム過激主義の世界で起きていることは例外なくそういうことです。それは、共産主義の世界でも同じでした。
議論が少し脇道に逸れているので修正します。
天(アッラー)は人間を「進歩発展を求めてやまない」動物に創造したようです。鳥を見れば飛行機を発明し、雷を見れば電気をコントロールしました。社会学的に言えば、人類は宗教権威による支配を脱し、より世俗的な社会の中で、貨幣経済を発達させています。そのような中で地球環境は激変し、現代文明は「持続可能な社会」を目指して舵を切ろうとしています。しかし、そのことすら上手く行かない。おそらく、明日から直ちに「夜になったら寝る」生活を始めたとしても、壊された地球環境は戻らないのではないでしょうか。われわれがよい環境を子孫に残していかなければならないこと、その真実に疑いの余地はありません。そのための我々の努力は、地球環境の悪化をある程度遅らせるかもしれません。しかし、聖書にも、聖クルアーンにもあるように、ある時、最後の審判の日が訪れることだけは避けられないのだろうと思います。人間は、知ってか知らずか、ひたすらその日を目指して歩んでいるように思えてなりません。
私の意見では、このように変えることのできないもの(=人間の性<さが>)を「変えることができる」と誤認するか、あるいは知っていながら無視してしまうのが復古主義だ、ということです。
「再生エネルギーの開発を推進すべき」ことは、全く異論のないことです。しかし、それは技術的な革新、ブレイクスルーを起こして行く過程で実現されるべきであって、全量買取制度という、ただでさえ苦しい国民生活、国民経済に更なる負担を強いる方法で実現すべきではないと思います。そのような方法で、多少ソーラーパネルの設置が進んだとしても、日本の国自体が沈没してしまうでしょう。
その逆に、安価で安定的な電力供給を確保し、日本の経済が望まれる健全な姿に戻ることができれば、日本人の頭脳は有機的な結合は促進されて、世界NO1の再生エネルギー技術を生み出すことも可能になるでしょう。
「原発反対、原発廃止」ということについても100%賛成です。しかし、原発を廃止することによる経済的損失(代替発電源たる炭化水素の輸入額増と無理な計画、計画変更に伴う電力会社資産の毀損とコスト増)、環境負荷の増大を考えると、安全性の低い炉、老朽化している炉から順次廃炉を進めていくという漸進的なアプローチが適切でしょう。また、忘れてならないことは、原子力の平和利用に関する技術者、研究者の育成を怠ってはならないということです。「こんな事故を起したのだから日本の原発はもう売れない」という議論がまかり通っているようですが、これは全く逆であります。「事故を経験し、これを克服すればこそ、日本には世界最高の安全技術が集積する」筈なのです。日本人はその技術を誇りとし、全世界に広がっている原子力発電の安全確保に努めて行かなければなりません。転んでも、タダで起きてはいけないのです。そうでなくては、どうやって原爆犠牲者の霊に報い、福島で被害に遭っている人々の願いに報いることができるでしょうか。国民一人一人がしっかりと自らの足で立たなければ、原発被害の保障など、とてもおぼつかないのです。
「脱原発・再生エネルギー礼賛」という原理主義に注意しなければなりません。原理主義が魅力をもって輝くとき、その衣を纏って政権を握ろうとする政治家と、混乱の中で利益を掠め取ろうとする商人が暗躍します。

アラビア語動画ニュース(川内村健康相談会)

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7月16日に行われた川内村健康相談会に関するアラビア語動画ニュースを1本作成し、弊社が運営する下記アラビア語情報サイトに試験的に掲載しました。各方面のご批判を仰ぎたいと思います。
日本への招待状(بطاقة الدعوة الى اليابان)
動画画面やタイトルをダブルクリックするとHDフル画面でご覧いただけます。
※ニュースサイト「アルヤバーニーヤ」が9月にオープン予定です。
※日本のメディアへの資料映像配給も行っております。お気軽にお問い合わせ下さい。