「中東政治」タグアーカイブ

危険なピクニック

旧聞に属するが、6月22日に起きたトルコ空軍機のシリア領空侵害撃墜事件は、シリア情勢の転換点となるかもしれない(=トルコとNATOの介入を招くかもしれない)重大事件として衝撃が走った。しかし、その真相が明らかになるにつれ、報道は立ち消えになっている。亡くなったトルコ空軍将兵には気の毒だが、状況から、どう見てもこの事件は、トルコ機がぼんやりピクニックしていて野つぼに落ちたようなものに見えるのである。
領空侵犯に対する防衛というと、すぐインターセプター(迎撃機)や地対空ミサイルによる攻撃が浮かんでくるが、撃ち落としたのは「イラン製機関砲」であったとのことだ。それは、領海上の艦船から放たれたものではなかった。海岸の高射砲拠点からのタマが届いたのだ!
前日には、シリア空軍戦闘機がヨルダンに亡命する事件が起きていた。このような場合、シリア空軍が緊急警戒体制を敷き、識別を変えたり(*)、レーダー監視を強化したりするのは当然で、そのようにシリア側が非常警戒でピリピリしているときに、のんびりと領空侵犯をしていて撃たれないと思うのはあまりにボケている。トルコも、面子があるので一旦は握り拳を振り上げざるを得なかったが、NATOの会議で「全面的な支持」声明をもらったが上出来、これ以上は恥ずかしくて話題にできない、というのが実際だろう。あるアラブ紙の論調に、「イスラエルの飛行機は、シリア領土奥深くまで侵入し、核開発施設と思しき施設の爆撃に成功しているのに、トルコ機だけは撃ち落とされた、というのも疑問が残る」とあったが、あまりにお粗末である。
インターネットに、撃墜の瞬間を捉えた、という映像が公開されている。「トルコ機が墜落する瞬間を捉えることができなかったのは残念だったが、この目で見たのです!」と作者はコメントを書いている。もちろん、アサド政権支持者がアップしたものなので、「創作」である可能性もなしとしない。アサド政権の完全なウソ映像である可能性も考えつつ、現場の雰囲気が伝わっているのでご紹介したい。
http://www.youtube.com/watch?v=oMf5EKEjfas&noredirect=1
(*)軍事専門家によると、航空機が亡命すればあらゆる情報が敵にわたるため、「識別」を変えるのは常識である。(サッカーで、ユニフォームの色で敵・味方を区別しているのと同じです)

大人の解決

エジプト大統領選挙に決着がつき、心配していた暴動もクーデターも起こらず(私は初めからそう言っていたのだが)、安定への期待からカイロの株式市場は急伸したという。
断片的なニュースを追う中で、私が気に入ったのは、「シャフィーク候補が敗北宣言し、当選したムルシ候補を祝福した」という一件だった。シャフィーク陣営にしてみれば辛い宣言であったに違いないが、その後、暴動や反対デモ、あるいは治安部隊の出動、強制連行などといった事態は起きていない。しかし、もし選管が逆の結果を発表していたらどうであっただろうか。まず、間違いなく、国内いたるところで暴動とデモが起き、軍と治安部隊はこれを鎮圧する仕事で忙しくなっていたであろう。
投票の結果は、ほぼ互角だった。シャフィークに投票した人々は理性的に行動できる「人種」なのであろうか。それとも冷めていただけなのか?逆に、民主主義を叫ぶムルシ支持の人々は、直ぐに暴力に訴える瞬間湯沸かし器型の人々なのであろうか?
その判断は置くとして、今ムルシ新大統領について「選挙で選ばれた史上初の大統領」という称号がついていることと、この「敗北宣言をし、対立候補の当選を祝福する」というニュースを兼ね合わせて考えてみれば、エジプトが如何に大きな民主化のステップを踏み出したか、理解できる。ほんの少し前の風景からは想像もつかない進歩なのだ。「国民が怒れば世の中を変えることができる」、これは完全に行き詰ったわが国の政治を考える上でも、よい教訓を与えている。
6dc87144-f265-4b04-bc24-7aaca40552be.jpg
ところが、このシャフィーク氏には後日談がある。報道によると、シャフィーク氏は26日、3人の娘らを伴い、UAEに向けて出国した。いわば早すぎる一種の政治亡命、国外逃亡である。このニュースとほぼ同時に、シャフィーク氏は「私に投票してくれた1200万人以上の国民の期待に応えるべく、新党を設立する」と表明したというニュースも伝えられていた。
背景には、同氏に対する汚職容疑での摘発が迫っていることが挙げられている。アブダビに向け出発する便の出発の15分前にVIPルームにひっそりと現れたシャフィーク氏は空港責任者に丁重に見送られたものの、周囲では「泥棒!国の金を返せ!!」の怒号が飛び交った由。
結論。
軍部は、ムスリム同胞団と革命勢力すべてを敵に回して弾圧するのは危険と判断、新大統領ポストを同胞団に譲るが、その権限は剥奪する、という取引をした。同胞団が大統領になろうと、軍部主導の「体制」変更はないので、軍部既得権組の反乱(「本当のクーデター」)はなかったし、その点信頼している保守的な市民の反乱もなかった。
しかし、既にパージされているムバラク前大統領との腐った関係について、あからさまな証拠のあるシャフィーク氏が表に出ると何かとまずい。ここは、早期にこの問題に蓋をしてしまおう、ということになったのだろう。
これは「取引」に含まれていることであるから、同胞団がシャフィーク一家をこれ以上追い詰めようとはしない。おそらく、ムバラク一家の汚職と同じく、闇に葬られることであろう。

舞台は憲法制定委員会へ

エジプト中央選管による大統領選挙の結果発表の中継を見ていました。
日本の刑事裁判では、死刑判決のときだけ、主文後回しと言われます。選管委員長は死刑判決を言い渡す裁判官よろしく、延々と個別選挙区における異議申し立ての内容と精査結果を読み上げて行きます。
とうとう、「判決」が出ました。彼が最初に口にしたのは「シャフィーク」の方でした。私だけでなく、だれもが、あ、やっぱり、と思った(落胆した)でしょう。しかし、次の瞬間、彼が口にしたのは48.3%という数字。「え、ということは??」
ムルシー候補1300万…、と言った瞬間、歓呼の声が沸き上がり、委員長はそれ以上の数字を発言できません。その瞬間にエジプト中が、いや、世界が沸き上がりました。
会場は「アッラー・アクバル」(アッラーは偉大なり)の連呼。私や、イスラム過激主義にバイアスをかけて眺める人たち、特にイスラム過激主義の嫌いなエジプトの少なからぬ有権者は、「おいおい、ちゃんと民主的な政治をやってくれよ?イランやアフガニスタンみたいにしないでくれよ」と思った瞬間です。しかし、それを叫んでいる人々の心境は少し違うでしょう。もちろん、掛け値なしの歓喜がそれを口走らせているのですが、あえて解釈するなら、「アッラーは誠に偉大なお方だ。選挙結果を操作しようと思えばいくらでもできる彼らに、そうはさせず、ムルシ候補の勝利を認めさせるまでの業(わざ)を示された。アッラーに称えあれ」というものだったでしょう。
だから、イスラム主義の大統領を支持したほとんどの人々の気持ちに罪はありません。しかし、大統領も、議会もイスラム過激主義が独占、ということでは、諸外国は警戒するし、無用の戦争すらしかけられかねない、イランの二の舞にもなります。第一、独裁旧政権がいやで仕方なく応援した、というリベラル派すら、弾圧の憂き目に遭うでしょう。そう考えると、軍が「何の根拠もない」補足憲法宣言を出して大統領の権限を骨抜きにすると同時に人民議会選挙のやり直しを図っていることは、リベラル派としてはむしろ歓迎すべきことなのです。
556637_489722071053821_109569575_n[1]
©TweetThawra
リベラル派と革命青年勢力というのは1枚岩ではないでしょう。しかしその多くが、補足憲法宣言の撤回を軍に認めさせるまで同胞団と共闘で広場で座り込むとしているとの報道があります。これは奇妙なことで一時的な現象と思います。そのうち、リベラル派と同胞団は仲違いするでしょう。そして、いよいよ正式な憲法を制定しなければならないのですから、その話し合いの舞台は憲法制定委員会に移ります。そこでは同胞団は多数の論理を行使できないことになっています。その上、ムルシ大統領自身の「世俗政治」公約があります。ですから、簡単に言って、同胞団は熱心な支持者の期待には応えられず、かといって馬脚を現そうとすれば、軍、リベラル派双方にいじめられる、という構図になっています。長期的に言うと、同胞団活動は穏健化せざるを得ず、勢いは削がれていくと見るべきでしょう。

ムスリム同胞団と民主党

前稿で「しばらく次の幕が開くことはあるまい」と書きましたら、「なぜそんなことが言えるのか?」「選管の大逆転発表で大混乱予測」という趣旨のコメントをいただきました。ご趣旨誠にごもっともであり、かく言うわたしも間もなく発表されるであろう軍エスタブリッシュメントの意志(*)がどのようなものになるか、大いに注目しています。
(*:つまり、悲しいことにエジプトの選挙結果は今も操作可能な「事実」。「エジプトでは投票より開票が重要」というイスラエル製ジョークは至言ですね。)
ただ、ここで賞味期間数十時間のコメントを書いても仕方がないので、この選挙を機会に、これからのエジプトと中東(特にシリア以東)をどう見ていけばよいのかについて私なりの考えを述べたいと思います。
革命派と旧体制の間の勝ち負けは、昨年2月の段階で既に決しており、エジプトが変革を成し遂げるためには、「第二革命」が必要だ、ということは去年何度かこの欄でお話ししました。大統領選挙決選投票に革命を代表する人物が残れず、旧体制(軍)と同胞団の一騎打ちになり、それほど分かりやすい戦(いくさ)で同胞団が苦戦する(すなわち、投票した人の半分は昔のままがよい、と言っている)という事態が生じているのは、その帰結であります。したがって、シャフィークが勝とうと、ムルシーが勝とうと本質的に情勢が変わるわけではないのです。シャフィークが勝てば、軍のその強引な手法に非難が集中するでしょうが、同胞団としては「大義」を持ち続けることができてむしろうれしい状況が現出するでしょう。逆に、同胞団から大統領が出るということになれば、先に書きましたとおり、リベラル勢力には新たな暗黒の時代の到来です。同胞団も、支持者の期待に応えられず、離反が起こり、支持基盤は蝕まれていくでしょう。
「大義」といい、離反(離党)といい、どこかで聞いたような言葉ばかりです。そう、我が国の政局と非常に似ている部分があるのです。
NHKの記者が「小沢には大義がある」とコメントしたのには飛び上がって驚きましたが、小沢派が主張している大義は「反対のための反対」であって、有権者に対して、「自分は常に正義の味方だから、次回もよろしく」と言っているに過ぎません。万年野党であればそれも仕方ないことですが、民主党は政権党であったのですから、公約どおり、革命を起こして(マニフェストの実施は革命を起すのと同じほど重要かつ困難なことでした)諸改革を断行し国民の信頼に応えるべきでした。それにことごとく失敗しておきながら、また次もよろしく、と言っているに過ぎないのです。
思い返せば、今は民主党の中に身を隠している残党もいらっしゃいますが、かつて日本社会党という政党があり、大義を抱えて国民の支持を訴えていました。その党はどうなったか。政権をとるや、消滅してしまう憂き目に遭いました。
イスラム過激主義(復興主義)に基づく政治というものは、エジプト社会において、また、イスラム世界全体において居場所がありません。それはファッションであり、野党にいる間は大義でいられます。しかし、政権はとれないのです。なぜなら、歴史の針を逆もどしすることを世界が許さない、ということが第一、それぞれの国のエリート層が世俗・リベラルであるということが第二、そして第三に、かれらの主張が現実と乖離していて、政策として具体化することが困難か、まったく実現できないからです。
同胞団という宿痾を一度に消し去ることができないまでも、健康な体に影響を与えない程度に押さえ込む必要があります。そうでなければ、イスラム世界に明るい希望は見えてきません。トルコではこれを近代化以降、長期間タブーとして弾圧したことで今日の国運の隆盛があります。チュニジアでは、自らがあらゆるトゲを抜き、毒を消すという作業をして生き残りを図ろうとしています。
thumbnail_67421386001_214034194002.jpg
小沢一郎さん
©日本経済新聞HPより(映像は再生できません)

エジプトの安定

大統領選とりあえずの評価
(サッカーの日本VS豪州戦をさばいたサウジ人審判。驚きの判定の連続だったが、出てきた1-1という結論に妙に納得したのは私だけか。同じように、奇妙な妥協の産物として、軍と同胞団という天敵同士のコアビタシオンが始まるのだろうか。中東は実に奥が深い!)
185018_327039737377526_1282442057_n[1]
©ロイター
開票率97.5%の段階で、ムスリム同胞団出身のムルシー候補が勝利宣言をした。得票率で、5%のリードがある由であり、その情報が正しければ、勝負はついたのであろう。
国民の代表でなく、何ら「革命」後の政治的権能を有さないはずの憲法裁判所が先の人民議会選挙結果を無効と判じたり、逆に人民議会の制定した法律を憲法違反として旧体制の人物の大統領選出馬を容認したりと、エジプトを実質的に支配している旧政権エリートはあの手この手を使って「革命」の骨抜きに取り組んだ。その集大成は、投票結果発表の1日前に軍最高評議会が出した「憲法補足宣言」であって、選出される大統領の権限が大幅に制限されるという。
ムルシー氏はそのような中で、新大統領に就任する。これは、旧体制にとっても、米国はじめ諸外国にとっても、また、急激な変化と治安の大混乱を望まない、善良な多数のエジプト国民にとっても、もっとも望まれた結論になりそうだ。その逆にシャフィーク候補が勝利していたら、同胞団は第二革命を起すと宣言していたし、おそらく、収拾の着かない大混乱が待ち受けていたことであろう。
「大統領になったら、副大統領にはキリスト教徒を任命してもよい」と公約していたムルシー氏の手腕が注目される。冒頭の勝利宣言でムルシー氏は「すべての人が平等な権利を有し、専制を許さない社会。市民的、愛国的、民主的で憲法を守る、近代的な国家を創る」と発言した。しかし、その言葉をどのような政策として実現していくかによって、支持母体であるイスラム主義者の反発を買うであろうし、そうでなければ、彼が同盟を期待している世俗主義者にもソッポをむかれるだろう。
アルジャジーラが報じた「統計」によると、エジプトの「腐敗」(賄賂額)は年間60億ドルに上り、世界で112番目(きれいな順)に位置する腐敗国家だという。その額が実際より多いか少ないかは別として、旧体制が如何に甘い汁を吸い、彼らよりアンラッキーであった同胞に迷惑をかけ続けてきたかは、はっきりとしている。「革命」はそのことへの怒りが爆発したものだったが、その結果旧体制を倒すまでに至らず、旧体制と新しく台頭する宗教勢力という2つの腐敗体制の連合体に鎮圧されてしまった。おそらく、これでしばらく次の幕が開くことはあるまい。腐敗のない国づくりなぞ、所詮無理と諦めるか。

チュニジア制憲議会選挙

本日23日、チュニジアで「第二共和国」の体制を決する制憲議会選挙の投票が行われます。この選挙は、その結果がチュニジアの将来を決するという意味において重要であるだけでなく、今年初め、この国から始まった「アラブの春」によって体制変革を予定している数々のアラブ諸国の行方を占う選挙として極めて重要であり注視しています。
英紙が引用したある外交官はこの選挙結果がこれからの中東情勢についての「ベンチマーク(指標)」になる、と述べていますが、まったく同感です。おそらくナハダ党が第一党になるのでしょうが、その議席数とともに、同党がどのような政治姿勢と手法を他党、とくに世俗主義諸政党との関係において取っていくか、がみどころです。
原油価格のベンチマークといえばよく知られているようにWTIがありますが、この油は極めてガソリン成分が多い「軽質油」であるがため、高い値段がつくわけです。チュニジアはアラブ世界の世俗度、社会の穏健度ではトップクラスの国ですから、この国にイスラム過激主義政権が誕生すれば、それは間違いなく極めて「軽質油」的なベンチマークとなるでしょう。宗教心の篤い国民の割合が大きく、国民所得水準も大きく遅れているエジプトがこの後を追って「選挙」を実行する予定になっていますが、その選挙結果はおそろしく「重質油」なものとなるでしょう。
かねてから指摘しておりますように、私はエジプトがすんなりと選挙で「第二共和国」に移行できるとは考えておりません。ましてや、シリアやイエメンの民衆蜂起がどのような結果をもたらすか、良くわかりませんけれども、否定的な見通ししか思い浮かびません。そのような現状に対しても、選挙の結果とその後のチュニジア政情は、他のアラブ諸国に大きな影響を与えることでしょう。
またカダフィの消えたリビアには、特に大きな影響を与えるでしょう。チュニジアとリビアはまさに兄弟のような国であるからです。
rashid_al-ghannoushi.jpg
ナハダ党の創設者であり指導者のラーシド・ガンヌーシー
日本の民主党のように、政権を取ったら選挙前公約は忘れてしまうのではないか!?

エジプト第二革命前夜

これは、エジプトの衝突でコプト教徒が大量に殺害される少し前、9月末のアルジャジーラの報道要旨です。
「エジプトでは、政府公共部門の労働者によるストライキが頻発している。要求は労働条件の改善と賃上げ。エジプトでは、旧政権が倒れ、制限が緩くなったため、人々の間にはストライキによって権利を獲得しようという気運が目立っている。
ミドハトというバス運転手は、ストライキを行なっている仲間に合流することにした。車庫に止まったままのバス。ミドハトは25年間も勤めたというのに、月給は百ドル・およそ8000円にも満たない。
ミ『こんな給料で生活しろって、どうやって暮らせというんだ!父と母の面倒もわたしがみている。家賃をはらって、電気代をはらって、水道代はらって、食べ物を買ったら、服を買うお金なんかどこにもない!!』
こんな不満は昔からあった。しかし革命後の今は、経済情勢の悪化に怒る人々の共通した行動はデモとストライキだ。革命による変革に期待を示す声もあれば、逆に変革が起こらないことを批判する声もある。
市民の叫び『エジプトよ目覚めよ。変革していないぞ』
市民の声『革命のあとには自由平等が実現するって約束だったじゃないか。だが自由も社会的平等もなにも実現していない。もう一回革命だ!という声が上がっている』
革命後のエジプト人の気持ちは変化した。彼らを縛っていた治安維持のための厳しい警備がなくなった分、権利の実現を求める人々の要求は、際限なく盛り上がっているのだ。それは時において危険な状況を呈している。
エジプト人専門家『自由を制限されていた国民がある日突然自由だといわれ、でもまだ自由が何であるかを知らない。これは非常に害がある。彼にとっても社会にとっても。自由というのは、何でも好きにできる、ということではないのだ。他人や公共の利益を考えなくてはならない。』
厳しい条件の下での生活を余儀なくされているストライキ参加者には同情を禁じえないが、政府が即効的で十分な解決をもたらすことは考えられない。歴史的な転換点を迎えている今、エジプトは政治的にも経済的にも混乱を続けている。」
このような報道に接していたので、コプト教徒大量殺害の報は驚きというよりはむしろ「やっぱり」という感慨をもって受け止めました。
「革命」前のエジプトがどのような状況にあり、「革命」で何が起きたかを考えれば、現在の混乱もまた当然の帰結です。この不安定さのまま社会を維持していくことは不可能ですので、遠からず、次の大きなうねりが来ることでしょう。それは、人々が秩序を信じ、完全にとまでは言わないものの、まずは「安心して」仕事に行くことのできる社会をつくるための「革命」です。
それは、世俗的な志向の青年たちによるのか、イスラム勢力によるのか、はたまた、「<旧体制の残党>と呼ばれる人々(<軍)」によるものかは確言できません。しかし、私としては最後の可能性が一番大きいのではないか、「革命」は結局失敗し、政権担当能力を持ったエジプト支配階級による政権が国際社会の支持を得て治安能力を回復し、イスラム勢力は(過去ほどではないにしても基本的に)弾圧して、世俗的な政権運営をしていく、ということがエジプト国民にとってもよい選択ではないのか、という風に考えております。
        1022820111015342.jpg
        デモで経済的困窮を解決できるのだろうか

崩れ行くCD合意

「乳と蜜の流れる場所」イスラエルとアラブ世界とを隔てているのは、人を寄せ付けない厳しさでそそり立つシナイ半島の岩山である。エジプトを出たモーゼが40年間放浪したとされるこの荒涼とした砂漠山脈地帯は、その利用の仕方ひとつで自然の要衝ともなれば、敵の絶好の隠れ家にもなる。
P1000430.jpg
    モーゼが十戒を授かったとされるシナイ山の朝 ©erico 2009
イスラエルが、建国後の四半世紀を領土拡張と安全確保のための四回の戦争に費やした結果選択した戦略は、この半島を非武装地帯とする条件で放棄し、南からの絶対的な脅威である「アラブ軍の侵攻」の悪夢から解放されることだった。
1978年にカーター元米大統領の仲介で成立したキャンプ・デービッド(CD)合意から既に三十有余年。この間、イスラエルがどれほどこの平和協定の恩恵を受けてきたことか、また逆に言えば、安全保障戦略上の優位に立つことができた同国の国際法を無視した非人道的な攻撃のために、パレスチナを含む周辺諸国の市民がどれほどの犠牲を強いられてきたかはここで繰り返す必要がなかろう。
そんなCD合意について、「『聖典』ではないのだから、見直しの議論が可能」とシャラフ・エジプト首相が発言した。トルコの衛星テレビ向けに発せられたこの言葉の衝撃は大きく、イスラエルは直ちにエジプト側の真意を問い質すなどの対応に追われた。
このような変化の背景には、もちろん、「アラブの春」がもたらした、ムバラク政権の崩壊という現実がある。
8月18日、パレスチナ系の「テロリスト」がガザ地区から、シナイ半島のエジプト領内を「回廊」に使って南下し、イスラエルの国境のリゾート地・エイラートに侵入した。民間人、兵士合わせて7人が殺害されたこの事件発生の主因は、エジプト政権崩壊によって、ガザ地区・エジプト間の境界線警備が甘くなっていることにある、とイスラエルは主張している。襲撃直後、実行犯らはエジプト側の町タバに逃げ込んだため、追跡していたイスラエル軍は国境警備の丸腰に近いエジプト兵めがけて発砲、5人の兵士が殉職した。
この「暴挙」にエジプトの国論が沸騰、駐エジプト・イスラエル大使の追放を求めるデモが常態的に起きていたのである。9月9日夜にカイロで発生した数千人の暴徒によるイスラエル大使館襲撃は、このような空気の中で引き起こされたものだった。
大使館襲撃という、国家主権を無視したはなはだしい違法行為はひとことで言って極めて野蛮であり、世界的にもあまり例を見ないものである。そして中東における過去の例としては、誰しもイラン・イスラム革命に付随して起きた、米大使館襲撃・人質事件を想起することだろう。
それだけに「国の名声に傷がつくのではないか」、「国際制裁を受けるのではないか」と当初心配した、とエジプトの評論家は言う。ところが、事態はその後反対の方向へ向かう。すなわち、イスラエルや米国が強硬なエジプト懲罰の政策をとるのではなく、逆に外交関係の堅持(救出された大使の早期のエジプト帰任意向)をイスラエル側が表明するなど、大使館襲撃が「人民の偉大な勝利」として認識・評価されている(前出評論家)というのだ。
このイスラエル大使館襲撃という事件、調べれば調べるほど特異な事件であることがわかる。
金曜日の恒例となっているタハリール広場付近のデモが、突如方向を変えてイスラエル大使館を包囲した。デモ隊の中には、大使館周囲のコンクリート壁を破壊する道具を所持した者がいたにも拘わらず、治安当局は何の規制も行わず、また、この壁を突き崩して暴徒が建物内に侵入するには相当の時間がかかったのに、当局はほとんど何の手出しもしなかった。
このため、ネタニヤフ首相の救援要請を受けたオバマ米大統領がタンタウィー国軍最高司令官に直接電話して、漸くエジプト特殊部隊の投入が実現、館内に取り残されていた6人のイスラエル側警備要員の救出が可能になった、ということである。襲撃を主導した約150人の暴徒たちは、前日に「篤志家」によって集められ、一人あたり20万円近く(平均年収に匹敵する額)の現金が入った封筒を渡されていた、との報道は、この襲撃が周到に計画された一大謀略であったとの印象を強く訴えているが、このアハラム紙報道そのものが、エジプト当局の何らかの言い訳のために捏造されている可能性も捨てきれない。
いずれにせよ、この「大勝利」は単にエジプト国民の胸のつかえをなで下ろしただけでなく、アラブ世界全体に「イスラエルに対抗するにはこの方法に限る」、「こんなうまい方法があったのか」という高揚感をもたらした。このためイスラエル大使館を受け入れているもうひとつの前衛国ヨルダンでも、同様のデモ(そして襲撃)がフェイスブックで呼びかけられた。
このデモは、首都アンマンの米大使館前で数百人、イスラエル大使館前では数十人が平和的に集まっただけで不発に終わったが、イスラエル大使は不測の事態を回避するため前日から本国へ帰り、大使館は閉鎖するなどの措置がとられた。つまり民衆が「戦わずして勝っている」状況が出現した。デモ参加者が掲げる「今回はデモだけにしておく」というプラカードの不気味さは、国民の過半数がパレスチナ人というヨルダンで、ひとつ火がつけば親米・親イスラエルのアブドラ国王の地位すら脅かしかねない展開を予感させる。
このように、「デモ=民衆蜂起」の思いがけない力に自信をつけたアラブ各国の民衆の勢いの中には、「イスラエルと妥協するような政権は今後許さない」といった強い方向性を感じ取ることができる。
暫定的な革命政府を率いるシャラフ首相は、旧閣僚でありながらタハリール広場でのデモに参加したことで民衆の支持を得ている人物だ。観測筋が指摘するように、大統領選挙をも見据えて、人気取りのために敢えて波紋を投げかけようとしたのかもしれない。だが、インターネットで的確な中東情報発信を続けている野口雅昭元大使も指摘するとおり、この発言は「逆効果で、現実には当分その改正が難しくなった」と見てよいだろう。
しかし同時に強く認識しなければならないことは、もはやイスラエルの一人舞台を許したCD合意の安全保障体制は、協定内容をうんぬんする前に、自壊を始めている、ということだ。モーゼが放浪した四十年、という年月に不思議な暗示を感じるのは筆者だけであろうか。
このようにかつてなく危機感が高まる中、パレスチナの国家承認を国連で成し遂げようなどという計画が通る可能性はない。この原稿が読者の目に触れるときには、この問題についてのとりあえずの結論が出ているタイミングであるが、かつてない緊張感の高まりの中で、偶発的かつ不幸な事件に発展しないことを祈るばかりである。(9月21日記)
エリコ通信社picasaギャラリー
///シナイ半島や中東各地の写真に興味のある方はご覧ください///

アルジャジーラ総局長の辞任

220px-Wadah_Khanfar.jpg
ワッダーハ・ハンファル総局長(写真)が数時間前に辞任したようだ。たまたま、アルジャジーラの関係者から聞いた。未確認ではあるが、信頼できる筋の情報なので載せることにした。
ビジネスにおいて世界で最もクリエイティヴな人物100人中No.1(Fast Company)、世界で最も影響力のある人物のひとり(Forbes Magazine)の称号があるだけに、ニュースである。
個人的な感想をいうと彼がそのような名声を手にしたのは、アルジャジーラを作り上げた彼の前任者とそのスタッフ達のおかげであり、彼はその遺産を食い潰し、同局を別物にして潰しかねない危機へ追いやった失敗経営者だと思う。
これを機に、アルジャジーラが失われた信頼を回復し、アラブ世界と世界を正しい方向へ導く灯台の役割を果たしてもらいたいと強く願う。

CD合意の見直し

キャンプ・デービッド合意(1979)は、よくご存知のとおりカーター米大統領(当時)の仲介でサダト大統領とベギン首相が調印したエジプト・イスラエル間の包括和平合意です。今まで30有余年、中東と世界の安全保障の礎となってきました。
「この合意は聖典に非ず。神の言葉でない以上は見直しの議論が許される」とエジプトのシャラフ首相が発言しました。16日朝、これを伝えるアルジャジーラのニュースを皆様にお届けしながら、感慨にふけったものです。
この発言には、イスラエルは当然直ちに反応しています。「CD合意のいかなる変更も認められない」というものです。
一連の動きは、エイラート事件が発生したときにこのブログでお知らせしたように、アラブの春がもたらした中東政治の大きな地殻変動を顕著に示しています。ムバラク政権の崩壊→対イスラエル国境の警備力低下→エイラートへのテロリストの侵入→イスラエルの過剰防衛(エジプト側兵士射殺)→エジプト国論の硬化→イスラエル大使館襲撃→今回の発言→その先は???
という図式になります。
このことについては、未発表原稿を書くため詳細をお伝えできるのはもう少し先になりますが、大変重要な動きなので少しだけご披露した次第です。報道関係者の皆様、どうか私の原稿の先を越すことのないよう(笑)、しかし十分な関心をこの問題に払われるようお勧めいたします。
           220px-Dr_Essam_Sharaf[1]
      革命勢力の後押しで最高軍事評議会によって任命されたシャラフ首相
   もともと旧体制内のアカデミック出身閣僚だったが、「革命」に際して民衆とともにデモに参加した。